一度来たことがある。
2018/02/05 小岩散歩 04 小岩菖蒲園/京成電鉄 江戸川橋梁/小岩市川の渡し跡/御番所町の慈恩寺道石造道標/北野神社/京成江戸川駅/宝林寺/本蔵寺 - ovanの社会科見学
江戸時代、庶民の間には霊場崇拝の風習が盛んになりました。坂東三十三観音もそのひとつで、埼玉県岩槻市の古刹慈恩寺は、十二番札所として関東各地から参詣人を集めていました。
このあたりは、むかし御番所町といわてたところで、この先にある江戸川河川敷には、小岩市川の関所がありました。
この道標は佐倉街道と元佐倉道の合流点にあって、対岸の市川から江戸川を渡って小岩市川の関所を通ると道筋のほぼ正面に見えたと思われます。
銘文は安永四年(1775)に建てられたもので、岩附・江戸・市川の三方向を示しています。
銘文
正面 右 せんじゅ岩附志おんじ道
左り江戸本所ミち
右面 左り いち川ミち
小岩御番所町世話人忠兵衛
左面 右 いち川ミち
安永四乙未年八月吉日
北八丁堀 石工 かつきや加右衛門
◆伊与田北野神社
一度来たことがある。
2018/02/05 小岩散歩 04 小岩菖蒲園/京成電鉄 江戸川橋梁/小岩市川の渡し跡/御番所町の慈恩寺道石造道標/北野神社/京成江戸川駅/宝林寺/本蔵寺 - ovanの社会科見学
旧伊予田村(現在の北小岩3・4丁目)の鎮守です。江戸時代にはこの地にあった稲荷神社と北方の北野神社が明治四十二年(1909)に合祀し、今の北野神社となりました。
昭和三十九年(1964)には一里塚近くにあった須賀神社を合祀し、そこで行われていた芽の輪くぐりをこの地で行うようになりました。祭神には稲荷神社の倉稲魂命と北野神社の菅原道真、それに須賀神社の素戔鳴尊を加えた三柱を祀っています。
■茅の輪くぐり
直径3メートルに及ぶ大きな茅の輪を作って境内に建て、氏子たちが家族の氏名や年齢を書いた人形を持って
茅の輪をくぐり、無病息災を願う夏越しの行事です。毎年六月二十五日の例祭日に行われます。
茅の輪くぐりが終わると大祓(だいじょう)の式を行い、昔は人形を江戸川に流しました。素戔嗚尊が茅の輪で流行病をふせぐことを村びとに教えたという故事による行事です。
◆京成江戸川橋梁
◆ムジナモ発見の地
こちらも一度来ている。
2018/02/05 小岩散歩 03 北小岩六丁目第三児童遊園/上小岩親水緑道/小岩公園/唐泉寺/小岩田天祖神社/江戸川/ムジナモ発見記念碑 - ovanの社会科見学
水中にただようモウセンゴケ科の希少な食虫植物でムジナ(タヌキ)の尾に見立てて名付けられました。
植物体は、長さ6〜25センチ、太さ約2センチで、父子に6〜8枚の葉がついていて、虫が入ってくると貝のように葉を閉じて捕まえます。夏、水面上に淡緑白色の直径約5ミリの花を咲かせますが、一日ですぼみ、柄が水中にもぐって果実を結びます。
大正十年(1921)この地はムジナモ生育地として国の天然記念物に指定されましたが、幾度の洪水で流出し、大正十五年(1926)に天然記念物の指定を解除されました。
明治二十三年五月十一日 武州伊豫田村(現江戸川区北小岩四丁 目先)の当河川敷において 当時理科大学(東京大学理学部)植物 学教室で植物分類学を研究中であった新進気鋭二十八歳の牧野 富太郎博士がヤナギの果実を採集中偶然にムジナモを発見した
そして 翌年七月ムジナモ開花の報を受けて 直ちに当地に駆 けつけ 幻の花とされていたムジナモの花を採取し 精密な解剖 図を描いて 明治三十六年十月発行の植物学雑誌に公表した やがて多くの書物に転用されて 牧野博士の業績が世界に知れ わたる端緒となった
日本の植物学史上特記すべき「ムジナモ発見」百周年にあたり 牧野博士の偉業を称え その事実を永く後生に伝えるため この 発見地に記念碑を建立するものである
続く。