2019/06/29 01 国立公文書館「紙に願いを -建白・請願の歴史ー」

24時間勤務アケで、一人で国立公文書館に行ってきた。



建白・請願に関する制度の変遷を公文書と共に展示。
とりあえず写真の許可が出ている所は撮っておいたので、
後でゆっくり勉強しようと思う。


今のところ印象に残った展示

目安箱は、吉宗が設置した目安箱以外にも戦国時代から存在し、近代では慶応4年に太政官が京都に設置したものがある。


足尾銅山の公害を訴える訴状を田中正造(たなかしょうぞう)が明治天皇に直訴した事件が起こった。


田中正造で足立区にある保木間氷川神社にある碑を思い出した!
2018/03/24 舎人散歩 04 流山街道名地プチテラス/祠(名称不明)/スガマーケット/歩道橋/「大門」名の由来/賽積院/保木間氷川神社 - ovanの社会科見学


田中正造保木間の誓い

1890年代に発生した足尾銅山鉱毒事件は近代史上で特筆される公害事件である。1898年(明治三十一)9月群馬県邑楽郡・栃木県安蘇郡等の被害住民3000人が鉱毒被害を訴えるため上京した。
被害問題に取り組んだ田中正造(当時衆議院議員)は、同年9月28日、上京する被害住民とここ保木間氷川神社で出会い、鉱毒問題の解決に努力するという演説を行い、被害住民を帰郷に導いた。この時被害住民は涙して演説を聞いたといい、これを保木間の誓いという。
当時東京府南足立郡淵江村だったこの地では、村長坂田正助と村会議員が、上京途中憲兵や騎馬警官による阻止・排除を受けた被害住民に、炊き出しを行って出迎え、被害住民と共に正造の演説を聞いた(「田中正造日記」)。こうした被害住民への支援は淵江村の人々と被害住民の農民同士の連帯感によって支えられていたという。


それから群馬県谷中村への遊水地(渡良瀬遊水地)の設置の件も展示パネルに記載されていた。
2019/06/07 群馬ツアー 01 渡良瀬遊水地/三県境/雷電神社/赤岩渡船/邑楽町シンボルタワー「未来MIRAI」 - ovanの社会科見学




だんだんいろんな事が繋がって来て楽しい♪
これからもどんどん知識を得ようと思った。