2019/08/12 杉並成田散歩 01 高井戸駅/高井戸駅前歩道橋/KENKOマヨネーズ/高井戸市民センター/高井戸東遺跡/杉並清掃工場/高井戸保健センター

24時間勤務アケで、高井戸から荻窪まで散歩。


高井戸駅から北東に進む。


高井戸駅




高井戸駅前歩道橋

高井戸駅直結と言っていいくらいだね。




すぐ脇は高井戸駅




駅の反対側。




◆KENKOマヨネーズ

東京本社とのこと。



◆高井戸市民センター



高井戸市民センター誕生

 昭和三十五年頃の日本は高度経済成長で、大量生産・大量消費の使い捨ての時代でありました。当然のこととしてごみが大量発生し、更に工場排煙や自動車の排ガスによる大気汚染がひどくなり、杉並区内でも光化学スモッグによる被害が続出しました。この様なとき昭和四十一年十一月、清掃工場を高井戸のこの地に建設することが発表されました。しかし、この計画には公害不安、法的二重決定、立地条件など多くの問題があったため、地元周辺住民は一致して計画の取り消しを求めて東京地裁に提訴いたしました。原告は周辺住民約五千三百人と地主団十七人、被告は東京都で、東京ごみ戦争へと拡大されました。その後、東京地裁の和解勧告により、双方が「和解条項」を合意することで、十年にわたる東京ごみ戦争は終結しました。
 この和解条項の内容は非常に画期的で、その後の清掃工場の建設や運営にあたっては住民参加を尊重することが基本となっております。和解条件の一つとして、工場余熱を利用した利便施設を地元住民に提供することで、温水プール・健康増進施設・図書室・集会室などを工場敷地の一角に建設したものであります。この頃、杉並区では長期計画を策定し、区民センターを七か所建設する計画がありましたので、区としてはこの利便施設を是非、区民センター・老人福祉センター(現在の高齢者活動支援センター)・温水プールなどの総合施設として管理運営を譲ってほしいとの申出がありました。
 原告側は協議の結果、「和解条項」を尊重することを前提に同意いたしましたので、高井戸市民センターが誕生することになったものです。
 ここに開設二十周年を記念し記します。




◆高井戸東遺跡

上記市民センターの一角に説明板が建っている。




 この遺跡は、杉並区高井戸東三丁目七番の高井戸市民センター及び清掃工場を中心とし、神田川北岸の台地上に東西に広がりをもつ旧石器時代から縄文時代古墳時代・江戸時代に至る複合遺跡です。本遺跡の推定範囲は西側が区立高井戸小学校付近、東側が清掃工場東端付近であろうと考えられます。
 本遺跡は、昭和五十一年に清掃工場建設に伴う区道付け替えのために発掘調査されたもので、関東ローム層第9層中から出土した局部磨製石斧は今から28,000年前の石器であるとされ、出土した石器類の一部は区立郷土博物館に常設展示されています。
 発掘調査によって出土した遺物としては、局部磨製石斧の他にナイフ形石器・スクレイパー(掻器)等、遺構としては、縄文時代早期(約八千年前)の炉穴(屋外炉)、後期(約3,000年前)の石棒が埋納されていたフラスコ状ピット(墓)、古墳時代では7世紀頃の住居跡、中世(室町時代頃)では地下式横穴墓、近世では下駄・桶等の木器が出土した深さ6メートルの井戸跡等が発見されています。
 高井戸東遺跡は、神田川のような小河川流域にありながら都区内部では最大級の旧石器時代遺跡として全国的にも知られ、武蔵野台地上では標式的な遺跡とも言え、杉並区における旧石器時代遺跡発掘調査の出発点となった、とも言える遺跡です。




◆杉並清掃工場




◆高井戸保健センター





続く。