2019/08/12 杉並成田散歩 06 不動堂/松見橋/荻外荘公園/幻戯山房(すぎなみ詩歌館)/中通り商店会/荻窪駅

幻戯山房まで北東。
そこからは北西に進み荻窪駅に到着する。



◆不動堂




 この不動堂の中には宝暦六年(1756)に造立された「南無妙法蓮華経不動明王 上荻久保村別当仲道寺」と刻まれた高さ6尺(1.8メートル)の石碑が納められています。
 不動堂が現在地に移されたのは大正末年の区画整理の時で、かつては荻窪高校付近にあったといわれています。『新編武蔵風土記稿』にある「除地百六十八坪村ノ東北ノ方ニアリ不動ト云文字を梵字モ(ママ)テエ(ママ)リシ石標アリ今ハ堂ヲ廃セリ」という不動堂が現在のものと同一のものと考えもありますが、詳らかではありません。
 不動明王法華経の守護神として信仰され、現世利益信仰を代表する明王で、人々は治病や安産・災害の除去、財福を得る、死の苦しみを除く等種々の願事に応じる仏として修験者や祈祷師を通じ、広く信仰しました。この不動明王も下荻窪村に熱病が流行して多くの村人が亡くなった時、村人達が浄財を出しあって石碑を造りお祈りしたところ、熱病の流行がピタリとやんだという話が今も残っており、別名を「護施不動明王」と名づけられています。それ以後、下荻窪村はもちろん近在の村でも熱病がはやると、このお不動様へ願をかけてお祈りしたそうです。
 なお、境内にある記念碑は昭和五十三年に不動堂の再建を記念して建立されました。






◆松見橋











◆荻外荘公園

荻外荘





 荻外荘は、昭和前期に総理大臣を3度勤めた政治家、近衛文麿の邸宅です。当初は、昭和2(1927)年に、大正天皇の侍医を勤めた医師の入澤達吉が、義弟で建築家の伊藤忠太に設計を依頼して建てた邸宅でした。昭和12(1937)年に近衛文麿が入澤から邸宅を譲り受け、その後、西園寺公望が「荻外荘」と命名しました。近衛は、ここで政治会談や第二次第三次近衛内閣の組閣を行うなど、荻外荘は、近衛の主要な政治の場となりました。特に、昭和15(1940)年の「荻窪会談」は、第二次近衛内閣の基本方針が確認された会談として有名です。戦後、昭和20(1945)年12月16日に近衛は邸内の書斎で自決しました。
 平成28根(2016)年3月1日、昭和期の政治の転換期となる重要な会議が行われた場所として、国の史跡に指定されました。
 現在、基礎部分は非公開ですが、史跡指定の趣旨に基づき、文化財として適切な復原整備と活用に向けた検討を進めています。









◆幻戯山房(すぎなみ詩歌館)/角川庭園

中まで行けばよかったなあ。







中通り商店会






荻窪駅




高井戸からしばらく、トイレ・給水・ベンチのセットのある公園が少なく、うまく休憩が取れなかった。
そのかわりに大きな公園がドーンとあるね。
お盆のせいか大人も子供も出歩いている人は少なかった。