24時間勤務アケで、和泉多摩川駅から喜多見駅まで歩く。
この日記のエリアでは和泉多摩川から多摩川沿いに東へ進む。
◆和泉多摩川駅
スタートの和泉多摩川駅。
この駅周辺は以前仕事でよく来たところ。
その頃はまだ高架じゃなかったなかったなあ・・・。
◆リバーサイドモール和泉多摩川
google mapの口コミには一見ただの建築現場風ってかいてあったけど、ホントにその通りだった(w
狛江市のHPに詳しいことが載ってました。
猪方小川塚古墳 - 狛江市役所
◆多摩川決壊の碑
下の碑文を見ると僕が生まれた2か月前の出来事なんだね。
今日僕が散歩した場所辺りが水没してしまったということなんでしょう。
昭和49年(1974)8月31日深夜から9月1日夕方にかけて、台風16号の影響をうけ、上流氷川を中心とした多量の降雨のため、多摩川の水位が上昇を続けました。この出水により、1日昼ごろ、二ヶ領宿河原堰左岸下流の取付部護岸が一部破壊されたのを発端に、激しい迂回流が生じたため高水敷が侵食され、懸命な水防活動もむなしく、午後10時過ぎには本堤防が決壊し、住宅地の洗掘が始まりました。迂回流はその後も衰えを見せず、本堤防260mを崩壊させたうえ、1日深夜から3日午後までの間、狛江市猪方地区の民家19棟を流失させる被害をもたらしました。
この「多摩川水害」は、首都圏の住宅地で発生し、3日間という長時間にわたった特異な災害であり、報道機関によってリアルタイムに全国に報じられ、多くの国民の注目を集めました。
建設省は、災害直後から速やかに本堰周辺の復旧工事を進め、翌年には完了させるとともに、「多摩川災害調査技術委員会」を設置し、いち早くその原因の究明にあたりました。
一方、被災住民は国家賠償法に基づき提訴し、河川管理の瑕疵について改めて指摘された水害ともなり、平成4年(1992)に判決が確定しました。
平成10年(1998)、従来の堰より40m下流に、洪水を安全に流すとともに、豊かな水辺環境の保全と創造を目的とした新しい堰が完成しました。
ここに、水害の恐ろしさを後世に伝えるとともに、治水の重要性を銘記するものです。
上記で見た小田急線の橋に赤い電車(たぶんロマンスカー)が見えた。
川べりがずーっとこんな感じ。
歩くたびにバッタが飛んで逃げていった(w
マムシ・・・・・って・・・・・・・。
続く。