2019/09/19 狛江猪方散歩 05 土屋塚古墳/世田谷通り/橋北塚古墳/小田急線ガード/栄通り商店街/喜多見駅

世田谷通りから北に向かい小田急のガード下をくぐる。
喜多見駅の前にまたまた業務スーパーに立ち寄る(w
細君からも買い物を頼まれていた。




◆土屋塚古墳




 土屋塚古墳は、狛江古墳群のうち岩戸の地に残された数少ない古墳のひとつとして、また墳丘の遺存状態が良好な古墳として、昭和61年に市史跡に指定されました。
 平成16年には、墳丘の南側から東側にかけて発掘調査が行われ、古墳築造の時期や当初の形態・規模が明らかになりました。直径33m、高さ4.5mを測る円墳で東側に造り出し部を有し、その外側に幅1.5mほどのテラスと幅10mほどの周溝が取り巻くことが判明しました。
 周溝からは、もともと墳頂や墳端に並べられていた埴輪が、周溝内に転落した状態で出土しました。これら埴輪は、製作技法から上野(かみつけ)(現在の群馬県)に拠点をおく工人集団が、この付近で採取される粘土で製作したものと考えられます。また、河内地方を起源とする装飾が施された朝顔型円筒埴輪や鳥付円筒埴輪なども出土しています。造出部付近からは、土師器の大型壺、高坏などが出土しており、造出部で墓前祭祀が行われたものと考えられます。
 土屋塚古墳は、出土遺物から5世紀第3四半期頃に築造された古墳と考えられます。多摩川流域では5世紀に入ると、それまで古墳が築造されなかった野毛(世田谷区)の地に、野毛大塚古墳に代表される大型の帆立貝形古墳が築造されはじめます。これは畿内における王権の変遷と関連するものと考えられますが、狛江の地でも、野毛地区の動向と連動して、5世紀半ばから古墳の造営がはじまります。土屋塚古墳は、そのなかでも比較的早い時期に築造された古墳で、帆立貝形を模した造出部を有するなど、多摩川流域の古墳文化の動向や、当時の地域の諸関係を知るうえで大変貴重な古墳です。






◆世田谷通り




◆橋北塚古墳

「三角(みすみ)塚古墳<橋北塚古墳>」と現地説明板に書いてあった。




 狛江には、5世紀の半ばから6世紀の半ばにかけて、60~70基ほどの古墳が築造されたと考えられ、橋北塚古墳(三角塚古墳)も5世紀前半に築造された古墳であると考えられています。
 この古墳には、墳丘(ふんきゅう)に葺石(ふきいし)はなく、埴輪8はにわ)も確認されていませんが、平成2年の調査において、古墳を取り巻く周溝(しゅうこう)の一部が確認されています。墳頂(ふんちょう)付近に円礫(えんれき)が集中して残されていることが確認され、古墳の主体部は、木棺(もっかん)のまわりを拳大ほどの丸い石を集めて覆った礫槨(れきかく)であったと考えられています。







小田急線ガード



とくにガードに名前はないみたいだ。




◆栄通り商店街




喜多見駅

ゴールの小田急喜多見駅
やはり駅近くの業務スーパーに立ち寄る(w
今回は公衆トイレがなく、かなり我慢した。
同じコースを散策する人は居ないだろうけど、気を付けてくださいネ。