2019/10/24 南千住・浅草散歩 01 尾久駅/南千住駅/松尾芭蕉像/回向院/南千住通り架道橋/延命寺

24時間勤務アケで南千住からほぼ隅田川沿いに浅草まで散歩。
最初の尾久駅は電車乗り間違えて着いてしまった駅。
鉄道が好きな人にはたまらない駅なんだろうなあ。。。
浅草からは見学隊の皆さんと合流。
いつもの定例見学会となったのでした。
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この日記のエリアは尾久駅と南千住から泪橋方面に歩く。



尾久駅




カシオペア!?






奥にも「カシオペア」らしき車両が・・・・。
どなたか事情をご存知の方は教えてください。
(o*。_。)oペコッ





南千住駅








松尾芭蕉

駅のすぐ前。



 元禄二年(1689)三月二十七日、松尾芭蕉は、ここ千手の地から奥の細道の旅へと出立しました。
 この像は、矢立初めの句を詠む芭蕉の姿を表現したものです。





◆回向院

今回は中に行かなかった。
1651年(慶安4年)に新設された小塚原刑場の刑死者を供養するために創建。
今度時間に余裕がある時に。。。




◆南千住通り架道橋





延命寺




小塚原刑場跡と小塚原の首切地蔵
 小塚原刑場は、火罪・磔・獄門などの刑罰、無縁の埋葬・供養、刀の試し切り、腑分け(解剖)などが行われ、また、徳川家の馬の埋葬地としても利用された。間口六十間余(約百八メートル)、奥行三十間余(約五十四メートル)の敷地があったが、明治初年に廃止となり、回向院の境内地や官有墓地、宅地などになっていった。
 首切地蔵は、寛保元年(1741)に造立された石造の延命地蔵菩薩である。無縁供養のため、建てられたといわれる。明治二十九年(1896)に開業した隅田川線の敷設予定地に安置されていたため、工事に伴い移された。
 明治三十年代から昭和三十年代、毎月五日、十四日、ニ十七日に地蔵の縁日が行われていた。多くの露店や見世物小屋が出るなど大変な賑わいを見せたという。



首切地蔵




題目塔



 元禄十一年(1698)二月十五日に京都三条の商人、八幡屋谷口氏と法春比丘尼により建立された題目塔、十七世紀後半、法華信者の谷口氏が全国の街道筋の仕置場などに、一切衆生の救済のため建立した題目塔のひとつであり、品川の仕置場100基以上が確認されている。
 十九世紀前半には土中に埋もれていたが、慶応三年(1867)、江戸の法華信者らによって再設置ざれた。その際に小塚原の仕置場南端の日光道中沿いに移設し、小塚原の首初地蔵(区指交有形文化財) と並んで安置された。明治二十九年(1896)、土浦線、隅田川線開通時に線路の南側から現在地に移動した。近代以降、小塚原の仕置場跡を象微するを造物として怒介され、広く知られるようになった。



続く。