まだまだ隅田川沿いに南に進む。
台東区側の隅田公園には史跡がたくさん。
今戸中学校記念碑
今戸中学校は終戦後すぐの昭和22年4月29日に開校され、平成14年4月に蓮菜中学校と統合して桜橋中学校となるまでの55年間を、この隅田川のほとりにあって、11,376人の卒業生を輩出してきました。
歴代の教職員、保護者、地域の方々のご尽力で、幾多の有為な人材、輝かしい歴史と伝統を育んでまいりました。
卒業生それぞれの心にある今戸中学校への思いと、我るの母校がこの地に存在したことを永速に残すために記念碑を建立しました。
記念碑に刻まれている「われら若し ああ今戸」は歌い継がれていた校歌の一節で、第4期卒業生で数々の国務大臣を歴任された深谷隆司先生の揮毫によるものです。
◆隅田公園
◆明治天皇御製碑
明治六年(一八七三)、明治天皇は元勲三条実美の別邸対鴎荘に行幸し、病床にあった実美を見舞われた。
御見舞いの帰途、伊達宗城邸で御休息の際、隅田川の冬景色を賞せられ、
和歌をお詠みになった。
「いつみてもあかぬ景色は隅田川
難美路の花は冬もさきつつ」
今戸橋は、山谷堀がまだ堀であった頃に架けられた山谷堀最下流の橋です。最初に整備された時期は不明ですが、江戸時代の資料に橋を架け渡すという記載が残っています。
この橋の下を吉原通いの船が通った頃には、その船を親不孝舟などといったといい、「今戸橋上より下を人通る」というほどのにぎわいだったと言われています。
現存する欄干は、大正15年(1926年)に竣工した橋の欄干で、山谷堀の埋立てに伴い、昭和62年(1987年)現在のような形となりました。
続く。