文化財ウィークで一般公開中の旧醸造試験所第一工場(赤煉瓦酒造工場)へ行ってきた。
明治36年(1903)に建築。
設計者は「妻木頼黄(よりなか)」(1859~1916)
ドイツのビール工場を参考にして設計したと伝えられ、機械もドイツから輸入した。
妻木氏の設計した現存する建築物
丸三麦酒半田工場 (現半田赤レンガ建物)
横浜正金銀行本店 (現神奈川県立歴史博物館)
横浜新港埠頭倉庫 (現赤レンガ倉庫)
日本橋 (装飾のみ)
・・・等
見学隊が発足したころ(そのときは酒類総合研究所)に一般公開で来たことがある。
探してみたら2011年の4月。
8年前かあ・・・・。
2011/04/02 酒類総合研究所一般公開 - ovanの社会科見学
この部屋は、現在の糀室です。糀は、蒸米に種麹(麹菌)をふりかけ、31~32℃で培養を開始し、最終温度42℃程度として製造します。約2昼夜(48時間)かかります。この糀に含まれる糖化酵素によって、米中のデンプンを糖分に変え、公募が食べられるようにします。
この部屋は、酒類製造の醗酵室(仕込み室)です。清酒製造の場合、酒母に1階で調整した蒸米、糀及び仕込み水を混ぜ、醪(もろみ)としてこのタンクに仕込みます。
20日~1か月で発行を終了した醪は、隣の部屋で上槽(搾り)して清酒と酒粕にわけます。
赤煉瓦酒造工場の地下は、お酒の貯蔵室として使用されていました。半地下ですが、夏は涼しく、冬は暖かい部屋です。
「日本酒100年プロジェクト」のお酒は10年ごとに分析するとのこと。
2015年の次は2025年かな?
御相伴に預かりたい(w
矢部規矩治(きくじ)博士
矢部規矩治博士は、明治27年(1894年)東京帝国大学農科大学を卒業、明治28年(1895年)世界で初めて清酒酵母を分離した。明治29年(1896年)大蔵省に入省。、明治37年(1904年)の醸造試験所設立に尽力し、醸造技術の発達、また、わが国の関税制度の確立に多大な功績を残した。昭和6年(1931年)退官までの34年間、税務ならびに醸造界のために尽力し、門下より数多くの学舎技術者を輩出した。
元治元年(1864年)江戸幕府はこの地を王子村より買い上げ、大砲鋳造の用地とし反射炉と錐台(砲身の穴あけ機)を置いた。
明治時代に入りこの用地は大蔵省印刷局王子抄紙(しょうし)部付属工場にあてられたが、明治三十五年(1902年)十月大蔵省醸造試験所設立に際し移譲され、現在は錐台の一部だけ残っている。
機会があったらまた見学隊の皆さんと来たい。
他にもご一緒したい方がいらっしゃったら声をかけてくださいネ!!