2019/11/02 01 「旧乃木邸」一般公開

24時間勤務アケで、乃木坂にある「旧乃木邸」の一般公開に行ってきた。
こちら、文化財ウィークの一環だと思っていたら、毎年5、9、11月に一般公開しているとのことだった。


こちらは、明治天皇崩御のあとに殉死された陸軍大将「乃木 希典(まれすけ)」氏の邸宅。
邸宅と馬小屋が港区の有形文化財に指定されている。




表門




邸宅














馬小屋






有形文化財旧乃木邸及び馬小屋

旧乃木邸は、明治35年(1902)に新築されたもので、乃木希典大将夫妻が大正元年(1912)九月十三日、明治天皇御大葬の日、明治天皇に従って殉死するまでここに住んでいた。将軍が、ドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範にして建てたというもので、明治期の洋風建築が接客を目的とする豪華な建物か、和風住宅に洋風の応接室を付属させたものが多いのに比べこの邸宅は、軍人の家らしく、飾り気がなく簡素で合理的に作られている。建坪は168㎡、木造平家建、日本瓦葺で、傾斜地を巧みに利用し、建物全体に半地下構造をもつ。

馬小屋は、平家建、日本瓦葺で、邸宅が新築される以前、明治二十二年(1889)に建てられた。間口約12.5m、奥行約4.5mの細長い建物には、4つに区画された馬房や、馬糧庫等がある。住居が木造であるのに対し、馬小屋が煉瓦造で立派だ、という評判があったもので、馬をかわいがり大切にした大将の人柄が偲ばれる。








乃木将軍と辻占少年像



今に伝えられる乃木将軍と辻占少年の話は、乃木希典が陸軍少将だった明治二十四年に、よ用務で金沢を訪れた折りのことです。希典は金沢で偶然当時8歳の今越清三郎少年に出会います。今越少年は辻占売りを営みながら一家の生活を支えていました。この姿に感銘を受けた希典は、少年を励まし、金2円を手渡しました。今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね金箔業の世界で大きな実績を積み上げました。
この像はこうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和四十三年に旧ニッカ池(六本木六丁目)の縁に造立されましたが、このたび旧ニッカ池周辺が整備されることとなり、希典所縁のこの地に移建されました。









中の写真が撮れなかったので感想だけ・・・・。
思っていたよりは質素で、使いやすそうな間取り。
応接室を除けば一つ一つの部屋はそんなに大きくない。
傾斜に建てられたため玄関からは2階建てに見えるが、地階があるため3階建てである。




間取り






軍服が展示されていたが小さかった。
身長をWEBで調べてみると150cmほどだったとのこと。



自刃されたお部屋も見ることができた。
どんな想いで逝ったのだろうか・・・・。
初めて知ったのだが、奥さんも一緒に自刃されたとのことだった。



いろいろ考えさせられる見学となった。
機会があったらまた違う季節に来てみたい。


隣に乃木神社乃木希典を祀った神社)があったのだが、人が多くてゆっくりできなかった。
平日の空いてそうな時期を狙って再訪したい。



乃木神社











乃木坂駅





続く。