旧乃木邸見学の後は梅ヶ丘へ。
文化財ウィークで公開中の国士舘大学大講堂がお目当て。
その前に梅ヶ丘駅の南側をぶらぶら散歩する。
室町時代、足利管領のき下にあって権勢関東に響いた吉良治部大輔治家は、当地世田谷に城を築きその鬼門鎮護としてこの地に伏見稲荷を招請、奉斉し厚く信仰しました。その後およそ二百年を経た天正十八年、吉良氏は当時姻戚の間柄にあった小田原北条氏と運命を共にして、豊臣秀吉の軍門に降り、当神社も又衰減に帰しましたが、後年松原宿の住民をはじめとする里人の再建、信仰するところとなり今日 至りました。
なお、徳川幕府による元録年間の検地水帳に当神社の所在は記されており、ぞの鎮座のいかに古きかを知ることができます。
(构子のいわれ)构子の食物を掬うは救うに通じ、総ての病難・災維 を払い、福徳円満、長寿開運、万福招来の象徴であります。
御神德
五穀豊統・商売繁昌・家内安全・交通安全・芸能上違の守誰神としてあまねく信仰をあつめております。
植年不祥、江戸後期と言われ 明治、大正、昭和、平成、令和 の長期に渡り、地域の平和と安全を見続けて来ました。 現在、稲荷神社の御神木 (世田谷区の保存樹木として〕 手厚く保護されております。 此れからも地域の安全安心を見守り、続けていく事でしょう。
◆山際神社跡
特に説明板などは無かった。
WEBで探しても情報が見当たらない・・・・。
◆稲荷神社と庚申塔
この庚申塔は稲荷神社の境内になるかな?
続く。