◆左卜全(ひだりぼくぜん)住居跡
左卜全(本名・三ヶ島一郎/昭和四十六年五月二十六日没/享年七十七)は、 おとぼけと洒脱の独特な芸風でユニークな名脇役として注目され、代表出演作に黒澤明監督作品の「白塚」「生きる」「七人の侍」「どん底」等の映画作品があ り、晩年(七十五歳)には「老人と子供のポル力」のレコードを出し、大ヒットし、 広く人々に親しまれました。 またこの地は、左下全の虚構と伝説に充ちた生涯の真実と夫への限りない愛を持って描き出した妻三ヶ島糸著書「寄人でけつこう 夫・左ト全」(装画・ 題字一森繁久彌/文化出版局)があり、糸が平成八年七月二十五日、八十七歳で没するまで愛したゆかりの地でもあります。
人も惜し さらに芸惜し へだつ世のおもいはるかに燃ゆるおりおり(糸)
ふるきとの土に召されて とことはに君がみたまのここにしずまる(糸)
共にある世のなごり惜し 添寝して細りゆく手むねにあたたむ (糸)
(昭和四十六年四月五日(糸の誕生日)病床にある夫・ト全の床の前で〉
ひとしれず消えたき思ひ草の葉の陰に宿りし 露のごとくに
(独り事らしを貫いた世俗の喧騒をよそに卜全没後超然と生きた二十五年)
いつしかと都の塵に汚れたるわが白かりし衣かなしき(一郎※卜全本名)
(少年時代東京で働いていた時に、姉で歌人の三ケ島龍子にこの歌を送ったところ、すくに「鶯のはつ声よりも嬉しき君がはじめて送りし歌」と返歌がきました。)
なお、ここにありました冠木門は出生地の所沢市三ヶ島堀の内の三ヶ島家家奥津城(お墓)に移築し、映画・テレビ・舞台・ラジオの台本等の資料は所沢市教育委員会に寄贈し三ヶ島公民館に展示されています。
その他のスチール导員等の資料は、この隣の甥 中村靖宅に保存してあります。 跡地の住居は「プレステージ レフト」の名称で、左ト全の名声を未来に残すため ここに表記したものであります。
常道の芸では 先がしれてる されば 逆 遠き苦難の みちを求めん
◆最勝寺
竹園山最勝寺教学院(天台宗)
本寺は慶長九年(1604)玄応和尚の開基により、江戸城内紅葉山に建てられたという。後、明治四十一年(1908)青山からこの地にうつされた。
本尊は阿弥陀如来で恵心僧都の作と伝えられる。また、不動堂の目青不動は東都五色不動の一つとして有名である。
境内には相州小田原城主大久保家歴代の墓、南画家岡本秋暉、その子初夏岡本碧巌等名家の墓がある。
◆三軒茶屋1号踏切
◆東急世田谷線三軒茶屋駅
こちらから終点の下高井戸まで電車移動。
下高井戸からは京王線で新宿経由で家に帰った。
かなり歩いたような気がしていたんだが1万6千歩程度・・・。
環七をまっすぐ歩けば京王線の代田橋駅からそんなにかからないはず。
自宅のある高円寺から歩けるかも(w