東急世田谷線の世田谷駅で降りて、世田谷ボロ市へ。
一度来てみたいと思っていたので寄ってみた。
◆世田谷駅
東急世田谷線世田谷駅。
◆ボロ市
世田谷区のHPには・・・
『約700店の露店が並び、1日におよそ20万人もの人出で賑わうボロ市は12月(15日・16日)と1月(15日・16日)の年2回、2日間ずつ、代官屋敷を中心にしたボロ市通りで行われます。』
とあった。
世田谷区のHP↓
世田谷のボロ市 | 世田谷区ホームページ
古着がいっぱいあるのかなあと思っていたらそんなでもなかった。
護摩堂
◆櫻小学校発祥之寺
WEBで調べると、明治十二年(1879年)、桜小学校は、ここ円光院を仮校舎として開校したとのことだった。
世田谷のボロ市は、天正六年(1578)に小田原城主北条氏政が世田谷新宿に宛てて発した「楽市掟書」に起源を持つとされる。掟書によるとこの楽市は一と六の日の、一ヵ月に六日開かれる六斎市であった。しかし江戸時代になると江戸商業圏の拡大により、市は年に一回、十二月十五日の歳の市となった。市で売買された品は多彩で、歳の市といっても単に正月を迎える準備のためだけではなく、一年を通して必要とする様々な品物をそろえる場であり、生活や農業生産の上で欠かせない市であった。
この市は、明治六年(1873)の太陽暦の採用によって、翌七年から旧暦の歳の市に相当する一月十五日にも開かれるようになり、また明治中期には十六日も開催の定例とになった。市の名称は、正式には「市町」といったが、明治中期頃から「ボロ市」が一般的となった。これは草鞋の補強や野良着を繕うためのぼろや、古着などが市商品の大半を占めるようになったからである。
ボロ市は400年以上にわたり、それぞれの時代に対応し、様々な変化をしながらも、ほぼ同じ場所で継続して開かれてきた。戦後は急激な
都市化と生活の変化によって扱われる商品も変わり、ボロ市も農村の生活市ではなくなってしまった。しかし、今でもボロ市は、数少なくなっ
た正月を迎える節季意識を伝える行事として、多くの人々に親しまれている。
こちらは以前来たことがある。
世田谷区立郷土資料館併設のものだ。
2016/04/20 part1 世田谷区立郷土資料館 - ovanの社会科見学
◆上町駅
東急世田谷線上町駅。
駅脇の道路のイチョウ並木が綺麗だった。
ボロ市の人の多さに圧倒された(w
日にちは固定されているので次に行くことがあったら平日に行った方がいいね。
名物の代官餅も食べてみたい。