24時間勤務アケで千歳船橋から馬事公苑経由で経堂駅まで歩く。
この日記のエリアは千歳船橋駅から南下する。
「2019/08/31」に散歩したエリアの東側。
http://ovanrei.hatenablog.com/entry/2019/08/31/210000
◆千歳船橋参商会
江戸幕府編纂の「新編武蔵風土記稿」には、今の世田谷区・目黒区・大田区にまたがる旧三十九ヶ村の区域と、飛地として品川区・三鷹市の
旧各一村が、古代末期の「菅苅庄」に属していた」と記されている。
同書はさらに、現在のこのあたりが、庄名発祥の地で、菅刈谷の地名と、菅刈社・菅刈橋があった。菅刈橋について「字横根ヨリ北ノ方二
アリ、悪水溝ニ力カル橋ニシテ、漸ク石梁二枚ヲ渡セリ。」と述べている。
区内旧大蔵村の出身で、江戸幕府の書物奉行の石井至穀著述『世田谷徵古録』の中にある菅刈谷・菅刈社・菅刈橋などの挿絵図と、国土地理
院発行の明治大正時代の地形図とを対照すると、風土記稿に言う菅刈橋は、この位置にあったと推定される。
よってこの標示をして、往時をしのぶよすがとする。
続く。