2020/01/16 駒沢散歩 03 駒沢ゴルフ場跡/駒沢オリンピック公園(東京オリンピックメモリアルギャラリー/深沢二丁目緑地/庚申塔/阿弥陀三尊画像板碑/深沢一丁目緑地

駒澤大学後はそのまま南下。



◆駒沢ゴルフ場跡

碑が建っているだけで、説明がなかったので調べてみた。
建設されたのがいつかは書いてなかったが、大正2年(1913年)、当時の各界指導者によって設立された日本で初めての日本人の手によるゴルフ倶楽部だということだ。
場所はこの先に写っている駒沢公園
昭和7年(1932年)、埼玉県朝霞に移転したとのこと。



駒沢オリンピック公園東京オリンピックメモリアルギャラリー)

この公園は、東京オリンピックの第2会場だったところ。
レスリングやバレーボールなどの競技が行われた。
公園には以前桜を見に来たことがあった。
はてな」には日記がないのでmixi時代だね・・・。


マップ



オリンピック記念塔(管制塔)



駒沢体育館

オリンピック記念塔とこの体育館の設計は芦原義信氏。
他に見たことがある建築物は・・・

国立歴史民俗博物館
2015/04/21 国立歴史民俗博物館 - ovanの社会科見学

ソニービル(解体)
2017/01/13 part3 銀座ソニービル ソニー展/サウンドプラネタリウム - ovanの社会科見学
2016/11/18 銀座ソニービル 「It's a Sony 展」 /築地・銀座散歩 - ovanの社会科見学
2016/08/23 part1 銀座ソニービル 「ソニーアクアリウム」 - ovanの社会科見学

東京芸術劇場
2018/08/09 池袋散歩 01 池袋駅/池袋西公園/池袋地名の由来/梟の路のふくろう/動輪/池袋防災館 - ovanの社会科見学

他にもいろいろあった。
芦原義信 - Wikipedia




東京オリンピックメモリアルギャラリー



駒沢体育館の地下にあった。



中は一部を除いて撮影禁止。
オリンピック全体というよりは、日本におけるオリンピックの歴史や活躍した人物などを紹介する施設と言った方が良いだろうか。
人物の写真パネルはたくさん展示されていた。


撮影ポイント

聖火だね。





◆深沢二丁目緑地


長屋門


土蔵


説明板(三田家主屋について)

 三田家は、深沢の地に代々居住してきた旧家で、その始まりは江戸時代の元禄年間(西暦1700年頃)と伝えられています。
 主屋は、8室からなる多室間形式の間取りを持ち、さらに南面して式台も設けられており、三田家がかつて豪農であったことをうかがい知ることができます。また、屋根は寄棟造草葺きで、小屋裏に屋根裏部屋を設けており、かつてはここで盛んに養蚕が行われていました。
 主屋の建築年代は、大黒柱の上部に打ち付けられていた棟札により「明治22年12月吉祥日上棟」と明らかになっています。世田谷の民家としてはそれほど古いものではありませんが、屋敷構えも含め、江戸時代の農家の形式をよく伝えています。
 この主屋も平成21年2月の火災により、残念ながら消失してしまいましたが、跡地に残る長屋門や土蔵、周囲に巡らされた屋敷林など、先人たちが自然と共生しながらつくり上げてきた暮らしの姿を私たちに伝えてくれます。
 平成30年8月、これまで土地所有者のご好意により借地し開放してまいりました深沢二丁目緑地の一部につきまして、土地所有者から世田谷区へ公園緑地用地として寄付いただきました。また、敷地内の長屋門、土蔵につきましても寄付いただきました。
 利用者の皆様には、本緑地を末永く大切にご利用いただき間仕様お願いいたします。





庚申塔





阿弥陀三尊画像板碑

中には入れなかった。



 阿弥陀三尊来迎画像板碑であり、中尊弥陀如来は二重頭光、蓮台上に立ち、下に雲を刻し、碑面一杯に光明。中尊下方には脇侍の観音、勢至菩薩が描かれ、三菩薩像は一重頭光で台より下を欠損している。区内にはこのように像を碑面に彫った板碑は二基しか知られていない。この板碑はそのうちの一基である。下部を欠いているため、正確な年代は不明であるが、像容の線剣が粗く、表現的にも形式化が見られることから、 室町時代の作例と考えてよいであろう。この板碑はもともと深沢字下山(現深沢二丁目)の阿弥陀塚にあったと言われ、江戸時代には小児の百日咳の平癒に信仰されていた。昭和初期頃盗難にあうか、その所作が確認されたのち、三田家邸内に移し、現在のようにセメントで固定した。


◆深沢一丁目緑地




続く。