2020/02/17 世田谷奥沢散歩 02 大ケヤキのある散歩道/奥沢神社/奥沢1号踏切/奥沢駅/CITY OKUSAWA/奥沢2号踏切

奥沢駅に到着!
今度は九品仏のある西へ向かう。


◆大ケヤキのある散歩道

 奥沢海軍村と風景づくり
 奥沢海軍村は、世田谷区の第2回 「地域風景資産」として登録されました。 最近はまち歩きで訪れる方も増えましたが、地域風景資産に登録されるまでは、 近隣の方以外にはほとんど知られていなかったと思います。
 地域風景資産に登録されたのは建築そのものでなく「海軍村のある風景」 です。つまりその一帯の住宅地が醸し出している 「風景」で、 住宅と調和するスケールの「みどり」、その落ち着いた 「色彩」、塀で閉ざされず通りに開かれた庭といった特徴で、 それらは古い住宅のみならず、 新しい住宅も連担することで、この地域独特の風景が生み出されています。
 大正12年関東大震災のあと、 山手線の外側の地域に住む人が増えはじめました。渋濯栄一が田園調布を開発した翌年の大正13年、 今の奥沢2丁目のあたりは地主の原氏が独力で区画整理を行いました。海軍省がある虎ノ門と軍港のある横須賀のちょうど中間にあって両方に行きやすく、土地の値段も安かったことから海軍士官の人たちが住むようになりました。
 昭和に入るころには30軒ほどが集まり 「海軍村」 と呼ばれるようになりました。当時の住宅が 3 軒残っており、ポーチ付の玄関やシュロの古木等がある住まいなどに、当時の面影を垣間見ることができます。
 このあたりは、今もなお緑豊かな街並みが特徴ですが、当初の区画は約300坪と広く、 当時の地図を見ると、緑多い住宅地を示すハッチングとなっており、周辺から際立っています。 それが現在では半分に分割されて150坪ほどの敷地に余裕をもって建てられている家がまだ多いエリアです。






◆奥沢神社



祭神誉田別命宇賀魂命
世田谷城主吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり守護神として勧請したと伝えられる。
例祭の9月14日・15日に、江戸中期より伝えられている「厄除の大蛇」の特殊神事が行われ、境内の「八幡小学校発祥之地」の碑は、かつて八幡小学校校舎があったからである。
社殿は昭和15年に完成し、尾州檜材を用い、室町期の様式を採用したもので、都内においても他に類を見ない。



 奥沢神社の大蛇お練り行事
 奥沢神社の大蛇お練り行事は、毎年九月第二土曜日に、氏子に担がれた藁製の大蛇が奥沢神社を出発し、半日かけて氏子町内を練り歩くも の.で、厄除けの大蛇として地域に親しまれています。
 その由来は、江戸時代に疫病が流行した際、名主の夢枕に八幡様が現れ、「藁で作った大蛇を村人が担ぎ村内を巡行させよ」とのお告げがあり、そこで藁蛇を巡行させると渡病が治ったので、村人はその藁蛇を神社の鳥居に掲げたと言われています。
 藁蛇の長さは約九メートル、胴の直径は約ニ五センチメートル、重さ約一五〇キログラムで、祭りの一週間前に約四Q人が一日がかりで作り上げます。お練りの際は「ワッショイ」と掛け声をあげ、まるで蛇が道を這うかのように左右に激しく大蛇を動かしながら担ぎます。その脇では、沿道の見物客や氏子に渡病除けの藁が配布されます。
 厄除け等の祈願のために藁縄で編んだ蛇を犯る行事は都内に数例残っていますが、その蛇を担いで氏子町内を練り歩くのは都内ではここだけで、都民の生活文化.の特色を示すものとして重要です。


楽殿



奥沢弁財天社



八幡小学校発祥の地



石塔群




鳥居



境内に居たにゃんこ





◆奥沢1号踏切






すぐ隣は奥沢駅



奥沢駅

東急電鉄目黒線奥沢駅






◆CITY OKUSAWA

商店街だね。
中は歩かなかった。




◆奥沢2号踏切








踏切少し手前で撮影。




続く。