矢口の渡し跡からは多摩川沿いに六郷土手を目指す。
◆矢口の渡し跡
前の日記、東八幡神社境内にあった。
おそらくここから近い多摩川の土手のあたりにも説明板か何かはあったんだろうけど、何もなかった。
去年の台風で流されたのかもしれない。
◆多摩川大橋
順番がちょっとおかしいが、ここは「多摩川大橋」の大田区寄り。
◆多摩川
多摩川大橋を超えたところで写真を撮った。
工事しているのは去年の台風のせいで破壊されたからだ。
安養寺仏像群
都指定の文化財、薬師、釈迦、阿弥陀の三躯の尊像を除き、〔寬文十一年(1671)造像〕をはじめとする三五躯の仏像が、本堂及び薬師堂に安置されている。
種類は如来、菩薩、天部など多種にわたり同一時期の仏像を、これだけ集めてあるのは貴重である。
これらの仏像のほとんどは、その像底刻銘により、元禄十二年(1699)当寺中興六世栄弁の代に造立されたことがわかる。
また栄弁は境内の石造物にも名を残しており、この時代に当寺が大発展したさまがうかがえる。
銀杏折取禁制(いちょうおりとりきんせい)碑
碑の高さ一四八センチ、幅二七センチ、厚さ一八センチ。
薬師堂前には、古くから乳いちょうが二株あり、人々は昔からこれに祈れば母乳の出が良くなると信じ、いちょうの下の乳部を削り取る者が多かった。
碑はその行為を禁止するため、元禄三年(1690)に当寺の住職栄弁によって建てられたもので、一種の聖城保護の禁制碑として注目される。
太田南畝(蜀山人と号す、1749ー1823)は「調布日記」に「大きさ牛をかくすといひけん大木の銀杏ニ本ならびたてり、かのち、というもの
あまたありて目を驚かす」と記している。
現在の樹は、その実より生じたものという。
山門と古川薬師道道標
正面に築師如来を表す種字を刻み、その下や左右側面の三面にも古川薬師への道を指示Lている。延宝二年(1674)、東海道から多摩川道に入る分岐点に、江戸の有志の寄進により建てれたが移された。
古川藥師は、古来信仰を集め、江戶時代には江戸近郊の行楽地になっていた。
区内に残る東海道の道筋に建てられた道標のうち の一基であり、江戶時代の交通史上、貴重である。
◆諏訪神社
安養寺を別当とする諏訪社として鎮座。
と、あった。
続く。