2020/04/09 梅屋敷散歩 04 大森八幡神社/三輪神社/旧吞川緑地/昭和橋/三輪厳嶋神社/大森四丁目第二児童公園

どんどん東へ進む。



◆大森八幡神社



火伏稲荷



楽殿



境内の一部が「ひめゆり児童遊園」という公園になっていた。





◆三輪神社


堀之内の起源と三輪神社の由耒

堀之内町会の堀之内という地名の起源は遠く徳川期以前にまでさかのほることが出未る古い地名てあります。大森の中の本村としてこの地名は輝かしい伝統と古い歴史に刻まれ現在に伝えられて、来ました。徳川期以前すでに大森周辺は武藏国大森と総称され、その字の呼称でありました堀之内が今日まて絶えることなく伝承され住民に親しまれて来たのてあります、因みに堀之内くという地名は館に濠を巡らした土地だけに与えられた由結あるものでありまして伝えられるところによると現在私共の住む堀之内は北條時頼の時代(1247~1259年)における陣屋の旧跡
であるとも言われております。徳川期に至り幕政上大森は東大森西大森北大森の三ヶ村に分割されましたが、堀之内は東大森村に属し幕府の直轄地として代官がおかれ明治期に至つております。
 大森村の中でも当所は本村として早くから拓け住民は代々農業と漁業を生業として栄え豊かな集落を形成して来たのであります、この集落の往民の精神的支柱が氏神であったことは今更言うまてもありません。私共の氏神である三輪神社は、享徳年間1452年~1456年)住民が土地開拓の神として、大国主命を祝り第六天社ー此の地では従来「デイロクサマ」と呼ばれ親しまれて末ましたーと呼び材人の崇敬を集めたのが、創始であると伝へられています大正四年(1915年)七月当所内の天祖神社貴船神社を合祀し社殿も改まり神社の感容は大いに髙まったのでありますが昭和二十年四月惜くも戦禍により一切を焼失しました。その後昭和二十七年八月社殿を新築し現在に至っております。



社殿造営之記

 三輪神社の歴史は古く、当初は第六天社と称しましたが、以後大国主(おおくにぬし)神社 、 更に明治七年三輪神社に 改称いたしました。
 大正時代に入り同四年より同八年に亘り、当所内三社の合犯(由来 参照) により荘厳なる社様を整え奉斎されてまいりましたが、昭和二十年 四月十五日の戦火により灰燼に帰し、同二十七年八月に至り再建されました。
 其の後昭和六十年春 、氏子有志により建設委員会を結成し、町内はもとより他町有志を 含む七百有余名に及ぶ崇敬者のご賛同のもと、新社 殿造営並びに併祀の北村神社ほか諸施設の整備に着手、同年十月十六日地鎮祭 、翌六十一四月二十九日上棟の儀を経て、同年八月鉄筋コンクリート銅板葺き流れ権現造り39.75㎡ 、正 面より拝殿・幣殿 ・本殿からなる現社殿が竣工し、同年九月十三日盛大に落慶式典を挙行、同夜 、厳 粛裡(げんしゅくり) に 置座の儀を執り行い、翌十四日・十五日と古式豊かに落慶遷座奉祝祭典が挙行されました。




北村神社




鳥居




◆旧吞川緑地

ここももう少し早く来れば桜が綺麗だったろうね!






◆昭和橋

下は旧吞川。
暗渠なのか、埋立てられたか・・・・。







◆三輪厳嶋神社




厳嶋神社 由来
大森海苔の守護神として古来より伝わる
 かしこくも、当社の祭神は素盞嗚尊の御女市杵嶋姫命にまします。謹みて創立の起源を神記口碑に因り案ずるに。安徳帝治承四年(1180年)源義経武蔵坊弁慶伊勢三郎駿河治郎等の郎徒を具し、東海道玉川の渡しを過ぎけるが、頃しも二百十日の厄日にて南西の風吹き荒び、舟は見る見る押し流され大森下に漂えば一同安き心なく、波方を望むれば、小高き社見えしかわ、これ神のおはします処と其の方に向い、海上平穏を念じければ、不思議や風やみ浪治まりぬ。義経霊に感じ、舟を瀬島につけ、葭をなぎ葦を分けて彼方の森を尋ぬれば、ささやかなる社の縁に白蛇顕われいたり。これ神の使ひなめならぬ。かしこし、厳島大神我等が運を守らせ給ひしことよと、里人に語らい改めて森を拓き、神殿を修理し、また船をとどめし処に注連竹を建て給う。是れ当社創立、起立の起源にして今を去ること八百年に及ぶ。
是れより里人等神徳を尊ぶこと愈々深く、海面守護の神として毎年正月十二日水神を祀りしが、ある年海面に建てし注連竹に黒き苔生じければ、人々怪しみてこれを採り嗜めけるに味あり。生酢干かにして食せば殊に風味よし翌年其の頃を計りて木枝多く建てけるに、またまた苔の生じければ種々製造法を考え遂に現今の如き乾海苔に製し年と共に製造するもの多し、海の苔即ち「のり」と称し鎌倉将軍に献上の栄を担い、江戸幕府開かるるに及び毎年将軍家に献上し、維新の際まで変わることなかりしは人の皆知る処なり。
嗚呼、大森の名産とし名誉海外にたかき海苔の濫觴たる如斯にして、如何に我が厳島大神の海面御守護の御神徳高きか、かしこくも尊きことにこそ。



銭洗弁財天社





弁天神社児童遊園

境内の一部が公園になっていた。



鳥居1



鳥居2



参道入口








◆大森四丁目第二児童公園




続く。