2020/04/15 01 「キャプテン翼」銅像巡り 03 かわばたコミュニティ通り/渋江公園/キャプテン翼(岬太郎)/東四つ木四丁目歩道橋/四ツ木2号踏切/葛飾郵便局

かわばたコミュニティ通りから西へ。
四つ木2号踏切でまた京成押上線を渡り北に進む。


◆かわばたコミュニティ通り






何回かここの桜を見に来たことがある。
今年はちょっと遅かったなぁ・・・・・。
2019/04/11 02 一人花見(竹橋/立石) - ovanの社会科見学
2017/04/16 京成立石散歩 01 かわばたコミュニティ通り/白髭神社/王子白髭神社/川端水神社/川端稲荷神社/五輪塔/原稲荷神社 - ovanの社会科見学





◆渋江公園




石毛慶次郎氏像

『1. 明治17(1884)年〜没年不明
2. 晒工場の経営者であるとともに、戦後は葛飾区内の各種団体の長を務めた。埼玉の工場で働いた後、東京で独立した。明治42(1909)年、 妻と二人で現葛飾区四つ木に石毛染晒工業(後の石毛染晒工業有限会社)を設立した。昭和27(1952)年、染晒業界での功績により緑綬褒章、および社会事業に貢献した功績により紺綬褒章を、昭和29(1954)年には消防分野の功労者として藍綬褒章を受章。他にも褒章を多数受章した。
3. 昭和25(1950)年に葛飾社会福祉協会の初代会長に就任するなど区内各種団体の長を務め、多くの褒章を受章した。昭和26(1951)年、顕彰会によって胸像が作られ多くの参列者を集めて除幕式が開催された。この胸像は、現在、渋江公園(葛飾東立石)にある。』
と、あった。
葛飾区史|葛飾ゆかりの人



葛飾セルロイドエ業発祥記念碑




 わが国におけるセルロイド工業の歴史は、明治10年(1877)に神戸の外国人居留地に2インチ(約5cm)四方の赤いセルロイド板がもたらされたことに始まります。その後、明治41年(1908)に堺セルロイド(株)及び日本セルロイド人造絹系(株)が設立され、本格的な製造に乗り出しました。
 葛飾区のセルロイドエ業の発祥は大正3年(1914)、旧播磨国明石藩出身の実業家千種稔(ちぐさみのる)氏が、「千種セルロイド四ツ木工場」をこの地に設立したことにちなみます。千種氏は材料から製品製造までを一貫して行い、やがてセルロイド工業は葛飾区の主要産業のひとつとなりました。
 記念碑は渋江公園の開発に伴い、昭和27年(1952)に建てられました。この地域が葛飾区の近代エ業の発展を担ったことの証として、平和と希望をかたどった児童群像を施し、先人の偉業を偲んでいます。




キャプテン翼岬太郎

「渋江公園」内にあった。



所属:南葛SC. ポジション:MF(ミッドフィルダー)背番号:T
大空翼と共に「ゴールデンコンビ」と呼ばれる。翼と並ぶ実力を持ち、勝負所での卓越したゲームメイクでチームを支える。



東四つ木四丁目歩道橋







四ツ木2号踏切

京成押上線の踏切。






葛飾郵便局



続く。