京成四ツ木駅北側エリアを西へ進む。
◆キャプテン翼(中沢早苗)
中沢早苗
通称:「あねご」
大空翼に一目惚れし、翼の応援を目的に、男勝りなリーダーシップを発揮して応援団としてサッカー部を支援する。
1つ前の日記、葛飾郵便局前にある。
◆キャプテン翼(ロベルト本郷と大空翼)
「四ツ木めだかの小道」近くにある。
ロベルト本郷と大空翼
大空翼の師匠であり、元ブラジル代表の日系ブラジル人。 翼の才能に惚れ、成長を見守りながら、時に厳しく叱陀激励する。
「Viva Tsubasa ! (ビバ・ツバサ! )」。
◆四ツ木めだかの小道
奥舟川の由来
曳舟川は、江戸幕府が明暦三年(1657)の大火ののち、開発に着手した本所・深川方面の新市街地へ、飲料水を供給する目的で開削された水路です。成立は万治二年(1659)といわれ、亀有上水あるいは本所上水・小梅上水とも呼ばれました。水源は瓦曽根溜井(かわらそねためい)(現埼玉県越谷市)で、亀有に入ってからは東側に中井掘を分水し、四つ木付近までは二条の水路が平行して流れていました。
亀有上水の廃止は享保七年(1722)のことで、小梅より南の水路は埋め立てられましたが、上流部はそのまま用本として残され、古上水(こじょうすい)掘と称されました。
上水の廃水後、篠原村(現四つ木)から亀有村間の二八町 (約三キロメートル)の水路を利用して「サッパコ」という小舟に人を乗せ、土手の上から長い綱で肩にかけて引くことが始まり、「曳舟川」と呼ばれるようになりました。
帝釈天詣や水戸街道に出る旅人が利用した曳舟は江戸東郊の風物としそ人気を呼び、多くの紀行文や、初代歌川(安藤)広重の「名所江戸百景」などに情景が描かれています。
ここは以前も日記に書いたことがある。
http://ovanrei.hatenablog.com/entry/20180920/1537593597
史蹟 葛西三郎清重の遺蹟
西光寺は鎌倉時代、関東の豪族として雄飛した葛西三郎清重の居館跡として知られています。
当寺は古く嘉禄元年(1225年)清重の創建と伝えられ、天台宗超越山来迎院と号しています。
また、近くにある清重塚と称する古墳は葛西清重夫妻の遺骸を葬った場所といわれています。
◆キャプテン翼(大空翼)
次の「四つ木つばさ公園」内にある。
続く。