2020/05/02 洗足散歩 01 荏原町駅/中延2号踏切/法蓮寺/旗岡八幡神社/旗岡児童遊園/子育地像尊/八幡湯

24時間勤務アケで、東急大井町線荏原町駅から東急東横線都立大学駅まで散歩。



ここでは荏原町駅北側エリアを散策。



荏原町駅

スタートの東急大井町線荏原町駅






◆中延2号踏切





奥に荏原町駅のホームが見える。









◆法蓮寺




将軍家斉と法蓮寺住職の角力伝承

 ここ法蓮寺には、徳川十一代将軍家斉と当時の住職日詮上人が角力を取ったという伝承があります。
 家斉は品川か目黒筋への鷹狩の途中、中延八幡宮(今の旗岡八幡神社)に立ち寄られたという。そのとき別当寺であったここ法蓮寺の芝庭において、家斉は法蓮寺39代住職の日詮と角力を取ったとされ、このとき日詮上人は手加減せずに将軍を負かしたのでかえって賞されたというお話です。
 江戸幕府が編纂した歴史書「徳川実記」の中には家斉が寛政から文政年間(江戸時代後期)にかけて幾度か品川周辺で鷹狩を行ったと書かれています。



恵比寿堂




山門




◆旗岡八幡神社




 御祭神 応神天皇、比売大神、神功皇后
 当神社は長元三年(1030年)平忠常の乱を平定すべく、朝命を奉じた甲斐守・源頼信公が下総へ赴く際この地に宿営した祈、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉斎し戦勝を祈願したのがその発祥とされています。
 高台に陣を布き、源氏の白旗を立て大いに武威を誇ったことから、この地が「旗岡」あるいは「旗の台」と呼ばれたのです。
 鎌倉時代中期に荏原左街門尉義宗公が当地の領主となり、鎮守としての御神徳の発揚に努めたことが当神社発展の基礎となりました。
 江戸時代には、徳川家を始め武家の崇敬篤く、毎年2月15日には各地から集まった武士達により弓の競射が行われていました。
 当神社は創建以来千年近い歴史を歩んでまいりましたが、時移り時代が変っても常に氏子崇敬者の心の拠り所として親しまれ敬われて今日に至っております。




楽殿



絵馬殿




 絵馬殿に懸けられていた縦1.46m横1.78mの庵形の大絵馬である。
 元治元年(1864)に中延村の竹屋(野村)書治郎が奉納したもので、欅の板四枚を横に会わせ、周囲を同じ欅材で縁取っている。
白木の生地に猿駒止の図柄を彩色で画面一杯に描いている。
 この絵は右下の落款によって、今治愛媛県)出身の画家、沖冠岳(1817-1876)の作品であることがわかる。沖冠岳は、京都で岸派に学んだ後、江戸に移住し、谷文晁等と交流し、画風の幅を広げている。
 江戸期の大絵馬の現存例は、本区並びに周辺地区では少なく、民間信仰の様相を示す資料として貴重である。
大絵馬は現在、ケースに収められ、社務所内に展示されている。




鳥居1




鳥居2




◆旗岡児童遊園

旗岡八幡神社境内の一部が公園となっていた。




◆子育地像尊






◆八幡湯




銭湯♪







続く。