中原街道から分かれて小山に至る旧道の分岐点にあり、寛文五年(1665)旧中延村の庚申講中が造立したもので、区内現存の庚申塔五十基のうち三番目に古い。中央に「南無妙法蓮華経」の髭題目を彫り、その下に石塔を造立した七名の氏名が刻まれている。
本塔は高さ九二センチメートル、板碑型で材質は安山岩、向かって右上部に一部欠損が見られるが、保存状態は概して良好である。日蓮宗の影響か、青面金剛・三猿・日月が掘られていない文字塔として特色がある。
全村のほとんどが日蓮宗といわれる旧中延村に、日蓮宗の僧が指導したと思われる庚申講の存在を示す資料として貴重である。
◆昭和大学上條記念館
手前にあるのが上記「旗の台一丁目石造庚申供養塔」
ツツジが綺麗!
葛原神社のボダイジュ
手前のもこもこしているのは桜。
その奥の背の高いのがそうだと思われる。
葛原神社は、北辰妙見菩薩を奉ずる葛原親王を祭神とし、中延村の旧家鏑木家の守護神であった。
ボダイジュはシナノキ科の落葉高木で、原産は中国である。古く日本に渡来し、寺院の庭などに植えられることが多い。
本樹の樹齢は約百五十年と推定され、根元から幹が四本に分かれているが樹勢は旺盛である。
品川区荏原6丁目付近。
桜並木がすごく、季節になったら是非見てみたい。
摩耶夫人とは、釈迦の生母のことである。本性は、高さ36.9cmの小型のもので、誕生仏を前に配し、飛雲の台座にのる立像である。極彩色を施し、頭に冠をいただく人形様式の極めて精巧な彫刻で、製作年代は像内の墨書から延宝六年(1678)であり、製作主は本寺の日明と推定される。
本像は、高さ61cmの厨子に納められており、摩耶堂に安置されている。保存状態は極めて良好で、江戸時代初期の人形彫刻の古い遺例として貴重なものである。
摩耶寺は日蓮宗の寺で仏母山と号し、建立は寛文七年(1667)、開山は立法院日丁といわれている。
◆小山八幡神社
神楽殿
小山八幡神社のシイ(1)
木がいっぱいでわかりづらい。
右奥に下の説明板がチラッと写っている。
俗に西小山八幡と称されている当社の境内には、常緑樹のシイの木数本のほか、サクラ・ケヤキ・イチョウ・サワラ・ソロなど数多くの樹木があり、豊かな鎮守の森をなしている。
本樹は、当社では最も大きいシイの木で、樹容も立派であるが、頂部に枯れ損じがある。目通りの廻り2.85m、高13m、推定樹齢約200年で区内でも貴重な樹木である。
小山八幡神社のシイ(2)
本樹は境内の西北隅にあり、当社ではシイ(1)に次ぐ大木である。
目通り(目の高さ) 幹囲り2.9m、樹高16m、指定樹齢約150年である。樹勢は旺盛で樹姿も整っており、貴重な樹木である。
シイはわが国中部以南の暖地に生じ、よく繁茂する常緑高木であり、庭木として広く生育している。都心や本区でも大木が多く見られたが、今は少ない。
続く。