ここでも北西に向かって歩く。
戸越公園1号踏切で東急大井町線の線路を渡ったあとも、北西に進む。
◆戸越公園通り商店街
商店街♪
戸越の地名は、このあたりが江戸越えの村であったことに由来します。
戸越公園駅は、昭和二年に目黒蒲田電鉄大井町線の「蛇窪駅」として開業しました。
昭和一〇年に戸越公園が完成したのに伴い、昭和一一年に 「戸越公園駅」に改称されました。
戸越公園駅周辺の発展と伴に、商店街が形成され、昭和二七年に現在の戸越公園駅前南口商店会が結成されました。
◆戸越公園1号踏切
ついこの前も来たところ。
右側に戸越公園駅が写っている。
2020/04/30 中延散歩 04 中延温泉 松の湯/戸越六丁目児童遊園/戸越公園4号踏切/戸越公園通り/戸越公園1号踏切/戸越公園駅 - ovanの社会科見学
◆戸越伏見稲荷神社
京都伏見稲荷大社のご分霊がお祀リされている。 古くより在る手水鉢には文政三年に王屋甚佐衛門豆腐屋佐衛門、桶屋平兵衛、左官半四郎、肴屋金次郎、池田屋吉兵衛らが奉納との刻印があり、昔から地元の人々から信仰を集めていたと推されます。
近年では昭和二年に大井町線が開通し、同時に旭商店会が設立され、昭和二十九年から戸越公園中央商店街がお護りし、昭和五十年に結成された戸越伏見稲荷講が中心となり神巌護持がなされています。
毎年二月の初午祭は盛大に斎行されています。
平成十二年東京都の認可を得て下神明天祖神社の飛び地境内社となリました。
◆荏原第三地域センター区民集会所
品川区の施設だね。
荏原第三地域センター|品川区
こちらのページの区民集会所のところに記載されている。
「戸越と銀座のゆかり」
明治8年(1875)小勝三氏が耐火陳瓦製造所を設立し、同20年に現在の品川区北品川4丁目に品川白煉瓦製造所と名を改め事業の展開を計りました。製造された煉瓦は中央区銀座のガス灯用のガス発生が用耐火煉瓦とし使用されたり、当品川区では旧日仙台藩伊達家下屋敷跡(現東大井1丁目)の釀造工場等にも使用されました。
大正12年の関東大震災で被害をうけた銀座のレンガを戸越の人々が譲り受け、 当時水はけの悪かった戸越の大通り等に再利用しました。
この様な由縁で現在の戸越銀座の「銀座」の名称も全国でも一番先に譲り受けたこのことです。
『戸越銀座』誕生して70周年の記念に品川白煉瓦株式会社と当時からの地上である竹内家の御厚意により、この歴史的資料をここに展示できたことを心より深謝いたします。
続く。