2020/05/14 大崎散歩 04 金春湯/大崎二神社/品川区立大崎図書館分館/居木神社/観音寺/大崎警察署/万福湯

大崎駅南側エリアを北西に進み、大崎広小路駅周辺エリアまで進む。



◆金春湯

銭湯♪






こんなのぼりが立っていた。




◆大崎二神社






◆品川区立大崎図書館分館

芳水小学校の文字の方が目立つね。
なんでだろ?




◆居木神社



 居木神社の御創建年代は明らかでないが、古い記録によると往古鎮座の地は、武蔵国荏原郡木橋村 (現在の居木橋付近)に位置し、「雉子ノ宮」と称され、境内に「ゆるぎの松」と呼ばれる大木が有ったと伝えられている。
 江戸の初期、目黑川洪水の難を避け、現在の社地に御動座された。其の折、村内に鎮座の貴船明神・春日明神・子権現・稲荷明神の四社を配祀「五社明神」と称されていた。
 「元禄郷帳」に居木橋村の石高は、ニ百三十石余、七十二戸で頭屋(年番)による運営がなされ、郷土の崇敬は篤く祭事は盛んで特に里神楽をよく催し、秋の大祭には他村よりの参詣も多く御社頭は大変賑わったと云う。
 明治五年、御社号を「居木神社」と改め、翌六年、村社に列格、続いてニ十九年・四十二年には、村内鎮座の稲荷神社川上神社・本邨神社の三社六座が合祀されている。
 昭和五年には氏子の崇敬熱意により御社殿の改築にかかり、同八年九月に竣工されたが、その荘厳を極めた御社殿も大東亜戦争末期に戦火にて炎上、以来氏子崇敬者の赤誠による再建計画が進み昭和五十二年五月五日着工、同五十三年三月三日 上棟、同六月十日正遷座祭の儀が厳かな裡に斎行され、 ときわなる居木の森の高台地に荘厳優美な偉容を拝するに至った。
 「境内には江戸時代の石像物がいくつか残っており、北側参道の鳥居と末社御手洗の鉢は、いずれ泊寛政四年 (1792) に、石灯籠は弘化ニ年 (1845)に奉納されたものである。
 境内末社厳島神社は品川区指定有形文化財に指定されている。
 また、拝殿前の石段の横手には溶岩積による富士塚があり、しながわ百景に選定されている。



厳島神社



 この厳島神社は居木神社の末社であるがもとは神社の傍にあった旧居木橋村の名主・松原家に屋敷神として把られていた。後に、居木神社が引き取り、末社としたものである。
 小型の神社建築であるが、質のよい彫刻装飾が多用され、その多くに彩色が認められるが、彫刻部分以外の柱等にも彩色が施されている。こ れは、概ね天明期ころまで通例とされた様式であるが、欅(けやき)と思われる素木を使った部分も多い。十九世紀以降は素木の方が主流とされるようになり、多くは欅を用いている。
 これらのことや、おおむね和釘を使っていることなどをあわせ、当初の 建造年代は江戸後期で、後年補修を受けたものと推定されるが、保存状態も良好である。
 彩色を施した江戸時代の社殿は、区内でも他にはないと思われ、貴重なものである。





稲荷神社





境内社

何が祀られているのかわからなかった。



石塔

道祖神と思われる。



宝物殿/神楽殿



江戸・東京の農業 居留木橋カボチャ
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 居木神社を中心とした、桐ヶ谷から居木橋一帯の旧荏原郡大崎村(現在の品川区大崎)は、江戸時代以前から農業の盛んな地域でした。居留木橋カボチャは、江戸時代の始めに沢庵和尚が上方から種を取り寄せ、 当地の名主・松原庄左衛門に栽培させたのが始まりという伝承があります。
 海岸に近く気候温暖で、適地であったため、甘味のある良質のカボチャが早い時期からとれたことから有名になり、地名としては居木橋ですが、居留木橋カボチャと呼ばれて親しまれました。
 果実の大きさは中型で、別名を縮緬(ちりめん)カボチャといわれたように、カボチャには15本ほどの浅い溝があり、全面をごつごつとしたこぶで覆われていました。外観に似ず中は黄色く味は美味しく、当時わが国を代表するカボチャでした。
 江戸時代から明治の中頃まで、この地方の特産品として長く名声を博し、後世の新種改良の親となりましたが、黒皮早生カボチャの出現や、当地域が宅地化するに及んで、しだいに栽培は減少していきました。




アマビエ

神社は古来、疫病や自然現象による災害など所謂「災厄」を祓い、沈静祈願をし、人々の気持ちを救い癒してまいりました。日々参拝される氏子崇敬者もこの事態の早い収束を祈願されています。
ひたすら収束に向かうことを願い、元の生活に戻るよう祈り続けましょう。

江戸時代末期、現在の熊本県の海に現われ、豊作や疫病などを予言したという妖怪。体はウロコに覆われ、顔にはくちばしのような口があり、「疫病が流行した際は、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と言って海へ帰ったと伝えられている。





富士塚?/居木橋遺跡/居木橋貝塚

由緒に書いてある「富士塚」はこちらでいいのかな?




しながわ百景「居木神社と居木橋貝塚




 居木橋遺跡は、居木神社の南方に位置する台地上にあり、縄文時代前期(約六千年~五千年前)の貝塚を伴う遺跡で、竪穴住居跡も多数確認されています。
 貝塚は、食用にした貝の殻や鳥・魚・獣の骨のほか、土器片などが堆積したもので、当時の生活を知る重要な手がかりを現在の私たちに提供してくれています。
 これまでの調査から、多くの縄文土器、石器などが出土していますが、貝類では、海でとれるものの他に、陸でとれるヒダリマキマイマイ(かたつむり)も発見され注目されました。
(居木橋遺跡の出土品の一部は、品川歴史館で展示しています)



鳥居



参道入口




◆観音寺







◆大崎警察署





◆万福湯

銭湯♪






続く。