清水庚申塔まで北東に進み、目黒通りに通りにそって南西に向かう。
NTTコミュニケーションズ唐ヶ崎ビルの鉄塔が見える。
清水池公園の全体の約3割を占めている清水池は、以前は湧き水が豊富な池でした。よって碑文谷池とともに立会川の水源であり、かつては碑文谷村共有の水田藩概用の貯水池としても大切な役割を果たしていました。
昭和7年、公園地としての永久保存を条件にこの地は東京市に寄付され、ここに清水池公園が誕生しました。目黒区には昭和25年に移管され今日に至っています。現在、清水池にはヘラブナが放流されて区内唯一の釣りのできる池として、区民はもとより区外の人々にも親しまれ、また釣り愛好者グループの活動により順調な運営が図られています。
公園西側には弁財天の洞がありますが、由来記によればこの地に守護神がいなかったことから、江戸時代初期に弁財天をって守護神にしたといわれています。
清水池公園沿革
本園は武蔵野の遊水池にして旧碑衾町碑文谷字池上部落の共有に係り、古来辨天池と唱へ亦附近耕地の灌漑用水に利用せられたるを以て溜井とも称し地名の起源を為せり 昭和七年十月市域拡張の際挙げて公園地となし本市に寄附せられ、更に同九年一月角田長雄氏より隣接地若干の寄附を受領したり 茲に本園の竣成に当り地元各位の芳志を永久に傳へんとす。
あってるかな?
自信がない・・・・。
太公望と清水池公園
釣りマニアで賑わうこの公園は、広さ約5800㎡。その三割を大きな池が占める。
昔は自然の湧水池だったが、やがて碑文谷村共有の水田瀧逐用の貯水池に。その後、東京市に寄付され、昭和10年2月、新しい公園に生まれ変わった。
戦後の7年には目黒区が釣堀公園として整備し直し、区民に開放。
時折、フナやコイなどが放流され、太公望が糸を垂れる。池の端の弁天様の詞は、瀧概水源の守護神として村人たちが建立したものだ。
◆NTTコミュニケーションズ唐ヶ崎ビル
この鉄塔は今回の散歩中、ワリと頻繁に見えた。
◆庚申塔
google map のマークの場所はこの辺り。
現地には説明板など何もなかった。
目黒区のHPには『中世の城館跡として、碑文谷殿山遺跡(ひもんやとのやまいせき)、伝目黒氏館跡遺跡(でんめぐろしやかたあといせき)がありますが、発掘調査が行われていないため詳しいことは分かっていません。』とあった。
続く。