2020/06/04 代官山散歩 04 神泉町交差点/松見坂/松見坂地蔵尊/石橋供養塔碑/神泉駅・渋谷1号踏切/神泉湯道碑

神泉駅周辺エリアを散策。
坂が多い・・・・。


◆神泉町交差点



上は首都高速




◆松見坂



 この坂から、「道玄物見の松」(土賊の道玄がその松に登って 往来の人を見下ろし、手下に命じて 衣服や携帯品を掠奪したために その名がついた) がよく見えたので、松見坂と呼ばれるようになったといわれる。
 また、坂の途中に「松見地蔵」があったので 坂の名になったという説もある。
 昔は、この坂の北西には、駒場野と呼ばれる 広大な原野があったが、今はその面影もない。





◆松見坂地蔵尊




 松見坂地蔵尊の上屋には2躯の石地蔵と、三猿(さんえん)が彫られている石造物があります。
 現在の石地蔵は戦後に新しく造られたもので、元の石地蔵は昭和20(1945)年5月25日の空襲で被災したため、現在の石地蔵の下に埋められたといいます。 当初の松見坂地蔵尊の造立年代は不明ですが、旧道滝坂道(たきさかみち)が空川(そらがわ)(現在は暗渠化)を渡った遠江(とうとうみ)橋付近が、 旧上目黒村の東の出入りロにあたるため、村へ侵入しようとする厄を除けるために祀られたと伝わっています。
 また上屋の正面向かって左側上段には、旧遠江橋の石製親柱が2つ置かれていて、「とほとふみはし」「明治三十二年六月成」と刻まれた文字を読むことができます。



石塔群





◆石橋供養塔碑




 この碑は、正面に刻まれた「文化九年壬申 石橋供養塔 九月吉祥日」の銘より、文化九年(1812) に建立されたことがわかります。 正面上部には楚字が、下部には三田用水沿いの中目黒村、白金村、北品川村など十三か村の名が刻まれています。 碑の右面には滝坂道沿いの若林村、経堂村、上祖師谷村など二十余か村の名、左面には建立に尽力した人と石工の名が刻まれています。
 この碑の前の道は、渋谷区道玄坂から調布市甲州街道に合流する古道「滝坂道」の一部にあたります。 碑に刻まれた内容から、約70m東(左手)の尾根筋を流れていた三田用水に架かる石橋に感謝し、建立したものと推測されます。昔は2mに満たない用水路でも、悪天候では増水するなど交通の障害になりました。この碑に刻まれた村名が広範囲にわたることから、安全に通行できる堅牢な石橋が人々の生活に極めて重要であったことをうかがうことができます。
 当初は橋の脇 (現、青葉台4-2-24付近)に建っていたと考えられますが、昭和47年(1972 ) にこの地で発見され、マンション住人の方々により保存·修復されでここに設置されました。









神泉駅・渋谷1号踏切

京王井の頭線神泉駅
すぐ隣が渋谷一号踏切。









◆神泉湯道碑

現地に特に詳しいことが書かれていなかったので調べてみた。
『ここに昔から、こんこんと湧き出る泉があり、その湧水を弘法大師の弟子の僧が浴室を建て、湯治場として村人に入浴を勧めたといわれています。やがて浴場は「弘法湯」といわれ、次第に人が集まりはじめました。』
と、あった。
http://water.travel.coocan.jp/shinsen.html







続く。