2020/06/09 代々木散歩 02 應慶寺/田中地蔵尊・子育て地蔵尊/庚申塔・地蔵尊像/大黒湯/ブルキナファソ大使館/東京ジャーミィ/四条橋跡

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玉川上水旧水路緑道に向かう。



◆應慶寺

あまりにも立派なビル過ぎてお寺だと思わなかった・・・。








◆田中地蔵尊・子育て地蔵尊




 「田中地藏尊緣起」によると、元文三年(1738) 十月、向井七左ェ門が、五穀成就、庶民安楽、子供の延命を祈って、福泉寺寺領の田地に地蔵尊を安置Lたといわれています。
 その後、寛政二年(1790)に、奈良岡寺の 観音像を模写し、各尊像の台座を新調して、田中地蔵と呼びました。
 広い境内(敷地一畝、約百平方メートル)に杉一本を植えて村びとたちの目標としました。毎年七月廿四日を縁日とし、この日には、農民や子どもたちが集まって祭典を行っていました。
 お堂には、 五体の石仏がおさめられています。
   右手前の石仏が、地蔵菩薩坐像
   右奧の石仏が、如意輪観世音菩薩半跏像、
   中央奥の石仏が、鶏亀(けいき)地蔵菩薛薩坐像、
   左手前の石仏が、地蔵菩薩坐像
   左奥の石仏が、延命地蒇菩薩立像、
 左手前に、享保十年(1725)につくられた庚申塔が、右脇には元文三年(1738)につくられた石碑が建てられています。








庚申塔地蔵尊




 中国道教の教えで、三尸説を母体とした複合信仰を庚申信仰といいます。人の体内には、上尸(首から上にいる) ・中巳(腹中にいる)・下尸(足にいる)と
いう三匹の虫がいるというものです。
 庚申の晩に人が眠ると、その虫が、身体から抜け出して天に昇り、天帝にその人の罪過を報告します。人は天帝の下す罰によって早死したり、病気になったりすると信じられていました。
 素朴な村びとたちは、庚申の夜になると当番の家に集まりお勤めをしたり、飲食や雑談をしたりしながら楽しく一夜を明かし、虫が体内からはい出さないように過ごしました。これを庚申待または庚申会(え)といいました。
 渋谷区域にもこのグループがたくさんあり、これを庚申講といいました。その人びとが家内安全や五穀成就を祈って建てたのが庚申塔です。
 また地蔵講の人たちが、庚申塔のかたわらに地蔵尊像を建てて信仰していました。









◆大黒湯

銭湯♪
建物は人がいっぱいで撮れなかった。
建物前、奥までの通路両脇にズラーっとコインランドリーが並んでいる。
その中心を通って中に入るみたいだが・・・。
ちょっと入るのに勇気が要るかもしれない。




遠くから煙突は見えた。





ブルキナファソ大使館

wikiに『西アフリカに位置する共和制国家』とあった。
申し訳ないが初めて聞く名前かもしれない。
アフリカについてもっと勉強しなければだなあ。
ブルキナファソ - Wikipedia





◆東京ジャーミィ

街路樹で見づらい・・・。




HPを覗いてみると『東京ジャーミイ・トルコ文化センター』となっている。
東京ジャーミイ・トルコ文化センター | Tokyo Camii Turkish Culture Center – 東京ジャーミイ・トルコ文化センターのウェブサイトです。


wikiで調べると、
『日本最大のイスラム教寺院(モスク)である。 』
と書いてあった。
東京ジャーミイ - Wikipedia



中は見学できるとあったので、今度誰かと行ってみようとおもう。






◆四条橋跡

玉川上水旧水路。












続く。