2020/06/20 渋谷上山町散歩 02 渋谷区区役所/二・二六事件慰霊像/NHK放送センター/渋谷地方合同庁舎/国木田独歩住居跡/神山商店会/大山稲荷神社

NHKのあとは南西に向かう。
神山商店街から先は閑静な住宅街。



◆渋谷区区役所





二・二六事件慰霊像



昭和11年2月26日未明、東京衛戌の歩兵第一第三連隊を主体とする千五百余の兵力が、かねて昭和維新断行を企図していた、野中四郎大尉等青年将校に率いられて決起した。
当時東京は晩冬にしては異例の大雪であった。
決起部隊は積雪を蹴って重臣を襲撃し総理大臣官邸陸軍省警視庁等を占拠した。
斎藤内大臣高橋大蔵大臣渡邊教育総監は此の襲撃に遭って斃れ、鈴木侍従長は重傷を負い岡田総理大臣牧野前内大臣は危うく難を免れた。
此の間、重臣警備の任に当たっていた警察官のうち5名が殉職した。
決起部隊に対する処置は四日間に穏便説得工作から紆余曲折して強硬武力鎮圧に変転したが2月29日、軍隊相撃は避けられ事件は無血裡に終結した。
世に是を二・二六事件という。
昭和維新の企圖壊もて首謀者中、野中、河野、両大尉は自決、香田、安藤大尉以下十九名は軍法會議の判決により東京陸軍刑務所に於て刑死した
此の地は其の陸軍刑務所跡の一隅であり、刑死した
十九名と是れに先立つ永田事件の相澤三郎中佐が刑死した處刑場跡の一角である。
此の因縁の地を選び刑死した二十名と自決二名に加え重臣警察官其の他事件関係犠牲者一切の霊を合せ慰め、且つは事件の意義を永く記念すべく廣く有志の浄財を集め事件三十年記念の日を期して慰霊像建立を發願し、今ここに其の竣工をみた
謹んで諸霊の冥福を祈る






NHK放送センター









◆渋谷地方合同庁舎

ここのすぐ隣に「・二六事件慰霊像」がある。





国木田独歩住居跡



国木田独歩は、明治四(1871)年銚子に生まれ、同二十九年ここに移り住んだ。現在NHK放送センターが目の前のこのあたりは、当時は小川や林がある自然豊かな土地だった。独歩はここでの生活をもとに、名作「武蔵野」の構想を練った。また「源叔父」「欺かざる記」もここで執筆したが、翌三十年6月麹町に移った。




碑はアムウェイのビル前に立っていた。






◆神山商店会

商店街♪
中は通らなかった。







◆大山稲荷神社








続く。