2020/06/27 大井町散歩 02 関ヶ原公園/旧薩摩鹿児島藩島津家抱屋敷跡/来福寺/犬坂/元芝公園/梶原稲荷神社/白玉稲荷神社

立会道路を南下し、関ヶ原公園からそれて東へ。
京急のガードをくぐって少し歩き白玉稲荷神社にたどり着く。



関ヶ原公園

御大層な名前だなあ。
由来を調べてみたが見当たらなかった。




◆旧薩摩鹿児島藩島津家抱屋敷跡関ヶ原公園内)

 この付近より東海道線を越えた地域を含む広大な地は、鹿児島藩島津家の抱屋敷(万治2年(1658)買得)および抱地(天保3年(1832)取得)であった。敷地は約1万8千坪に及ぶ。安政3年(1856)当時、 藩主島津斉彬(なりあきら)の父で前藩主の斉興(なりおき)(松平大隅守)がこの抱屋敷で隠居生活を送っていたため、絵図上では「松平大隅守」と表記されている場合がある。
 慶応年間になり、大井村の平林九兵衛(ひらばやしくべえ)が島津家よりこの地を譲り受け、開墾して耕地にしたと伝えられている。
 安政2年(1855)頃の薩摩藩主島津薩摩守斉彬は77万8百石の家禄があり、上屋敷は幸橋御門内(現・千代田区内幸町)にあった。
※上記大名屋敷の所有関係は、安政3年頃のもの





◆来福寺

中に入ろうとしたら、コロナ感染予防で檀家以外立ち入り禁止とあった。
外からお参り。






◆犬坂

坂下。



坂上



 この坂は階段が造られるなど舗装整備されているが、曲がりくねった坂道であった。犬坂の由来は不明であるが、俗称の" へびだんだん " はその曲りくねった有り様からそう呼ばれている。





◆元芝公園

上記犬坂の途中に入口がある。







◆梶原稲荷神社

正面から撮るのは難しかった・・・・。



今ヲ距タル七百七十二年前(建久三年)梶原兵三景時、征夷大将軍源頼朝ノ命ヲ奉ジテ、武蔵國大井村鹿島谷ニ萬福寺ヲ建立シ、ソノ境内ニ守護神トシテ稲荷ヲ勧請シテ梶原稲荷ト尊称シタ。
元応元年十月、萬福寺ハ兵火ニヨリ焼失シ馬込村ニ移リタル依リ、焼ケ残リシ稲荷祠ハ梶原屋敷内ニ奉遷サレテ、後、柴村来福寺ニ奉納サレ、ソノ追福ノタメ同寺へ松櫻ナドヲ植エ寄進シタ。
コノ梶原塚ハ、桓武天皇五代ノ裔、常陸少掾良茂ヨリ五代ノ孫、鎌倉権五郎景正ノ子孫梶原日向守、亦梶原助五郎一族ヲ祀ル古墳デアル。
從来、コノ稲荷祠ハ南浜川桜井源兵衛氏ノ所有ナリシガ、大正十四年一月ヨリ地元、元芝、関ヶ原ニ居住スル信仰者ニ管理ヲ委任サレ、地元民ノ協力ニ依リ社務所ヲ建設シ維持管理ニ当ッテ今日ニ至ッタ。
梶原氏ハ鎌倉権五郎景正、梶原兵三景時、梶原源太景季ト代々武勇ノ誉高ク、子孫皆ヨク栄エ、又、古来コノ地ニ火災、災難等無キハ、梶原稲荷ノ御守護ニヨルモノナリト伝エラレ、住民皆襟ヲ正シテ尊敬シ。
昭和三十八年浄財ニヨリ大修理ヲ加エ、神徳ヲタタエテ信者集イ祭祀ヲ厳修シタ。







◆白玉稲荷神社








続く。