前のエリアから東へ進みまた第一京浜に出る。
東海寺は寛永十五年(1638)に三代将軍德川家光の信任をうけていた沢庵禅師のために、 建立されたものである。
本鐘は元禄五年(1692)住持天倫宗忽(じゅうじてんりんこうとつ)が撰文し、名工といわれた幕府の御用鋳物師である椎名伊予守良寬によって造られたものである。総高198cm、口径106cm、撞座(つきざ)は竜頭(りゅうず)の側面方向にニか所、乳は乳の間ごとに縦横五箇ずつ配列されている。
こちらのお寺の墓地は離れたところにあった。
前に散策している。
2020/07/02 品川区広町散歩 05 東海寺大山墓地 - ovanの社会科見学
古地図を表示できるアプリを使ってみた。
赤い線は東海寺の境内だったと思われる場所。
青い線はもしかしたらここまでが境内だったかなと思われるところ。
黄色い線が現在の東海寺。
水色の線が以前巡った現在の墓地のある所。
あくまで私見です。
間違っていたらご指摘をいただけると有難いです。
◆荏原郡役所跡
明治十一年(1878)七月、行政区域であった大区小区制が廃止され、大区十二郡となり、荏原郡が誕生し、当初九十か宿町村で構成されていました。明治二十二年(1889)の市町村制によって十九か町村となりました。郡制は大正十年(1921)に廃止されましたが、残務処理などにより荏原郡役所が廃止されたのは大正十五年(1926)六月三十日でした。
◆東京消防庁品川消防署
続く。