2020/07/13 東五反田散歩 01 品川駅/八ツ山橋/キリスト品川教会/三菱開東閣/御成道/旧因幡鳥取藩池田家下屋敷跡/原美術館

24時間勤務アケで、品川駅から五反田経由で目黒駅まで散歩。
ちょうど真ん中くらいの住所が東五反田だった。



ここでは品川駅南西エリアを散策。
高輪(港区)だと思っていたら住所は北品川になっていた。
港区との境目がいまだによく分からない。




◆品川駅

スタートのJR品川駅。








◆八ツ山橋









◆キリスト品川教会









◆三菱開東閣

wikiで調べた。
『開東閣(かいとうかく)は、東京都港区高輪にある建築物であり、旧岩崎家高輪別邸である。 高輪台の東にあり、11,200坪の広大な敷地面積を有する。 一般公開はされておらず、現在は三菱グループの倶楽部として使われている。 周りに鬱蒼と木々を茂らせ、外部からは建物自体が視認出来ないようになっている。 』
伊藤博文 - 岩崎家の前の所有者。』
とあった。
google mapには「伊藤博文旧邸宅跡」のマークも付いている。
手前に写っている道路はソニー通り。








◆御成道



 江户時代前期の三代将軍德川家光の時代に将軍家の別邸「品川御殿」(元禄十五年(1702)消失)が建てられ、重臣との会議や茶会、鹰狩りの
体息などに使用された。
 この通りは特軍がお成りになる道筋とも想定され、昭和十八年(1943)作成の地図に、御成道との表示がある。
 宅地造成の際に名付けられたのではないかと想定される。








◆旧・因幡鳥取藩池田家下屋敷(元:出雲松江藩大崎屋敷跡)

 この地は、鳥取下屋敷になる以前は出雲国(現·島根県)松江藩松平家下屋敷跡(拝領地14,982坪、抱地(かかえち)4,230坪)で、7代藩主松平治郷 (はるさと)(号・不昧(ふまい)) が隠居後、ここに独楽庵(どくらくあん)はじめ11の茶室を造り、茶道三昧の晩年を送ったところとして知られる。その後、周辺の抱地以外は幕府に公収され、嘉永6年(1853)に鳥取藩池田家に下屋敷として与えられた。
 このころ、著名な茶室は取り払われたという。
 安政2年(1855)頃の鳥取藩主松平(池田)相模守慶徳(よしのり)(15代将軍慶喜(よしのぶ)の兄)は32万5千石の家禄があり、上屋敷は八代洲河岸(現・千代田区丸の内)、中屋敷は浜町大橋際(現・中央区日本橋浜町)にあった。
※上記大名屋敷の所有関係は、安政3年頃のもの









原美術館

面白そうな展示があったら来てみよう!
Hara Museum Web | 原美術館






続く。