2020/07/19 高輪散歩 05 明治学院前歩道橋/明治学院大学/正満寺/源昌寺/覺林寺(清正公)/天神坂/古壽老稲荷神社

桜田通りを北へ向かう。
覺林寺からは天神坂通りへ入り、西へ向かう。



明治学院前歩道橋




近くにあった地図







明治学院大学

文化財ウィークの時に学内の文化財を一般公開していたのでお邪魔したことがある。

2015/11/01 part1 明治学院大学(1) インブリー館 - ovanの社会科見学

2015/11/01 part1 明治学院大学(2) 明治学院礼拝堂 - ovanの社会科見学







◆正満寺







◆源昌寺


増田甲斎墓

 遠州掛川(静岡)の藩士であったが脱藩した。砲術に秀で諸藩主から求められたが固辞して応じなかった。一時博徒頭目となり数度獄に投ぜられたが悟る所あって仏門に入り、池上本門寺の幹事に挙げられたが、やがて身を雲水に寄せ、伊豆に逗留中ロシアの入港にあい、ここからロシアに渡った。彼はロシアの外交官となり幕府の使節が来た時その接遇係を命ぜられた。
 彼はヨーロッパおよびインドを巡回した。明治六年(1873)岩倉具視がモスクワに来た時、甲斎に帰国をうながしたため帰朝した。帰国後直ちに隠退、庵を結んで世塵をさけ、明治十八年(1885)五月三十一日歿した。年六十五。







◆覺林寺(清正公)



 通称白金の清正公さまと呼ばれる当山は、最正山覚林寺と号し寛永8年(1631)可観院日延(韓国の王族)によって開創されたお寺であります。
 開創と同時に上人によってご奉安申し上げられた清正公大尊儀は古く江戸時代より開運の神さまとして霊験まことにあらたかで広く庶民大衆に崇敬されてまいりました。
 毎年五月四日五日の両日に行われる清正公大祭には人生の苦悩に打ち勝つお守りとして「しょうぶ入り御勝守」が授与され、東都における清正公信仰のみなもととしていまもなお各界の参詣祈願者でにぎわいます
 ご神徳を仰ぎ謹んでご拝礼ください。


毘沙門堂/稲荷堂



清正公堂及び山門

 覚林寺は弘化二年(1845)の大火で全焼し、山門は安政三年(1856)、清正公堂は慶応元年(1865)に再建されたものです。
 清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口3間奥行3間、幣殿は間口1間奥行3間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造、銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾要素の少ない簡素な門です。
 清正公堂は本殿を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承しています。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価されています。また山門は現在の境内において最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の構成を伝えている貴重な建造物です。


清正公堂



山門







天神坂

坂下。



坂上



 てんじんざか むかし坂の南側に菅原道真の祠(ほこら)があったためにいう。葭原が見えるので 葭見(よしみ)坂・吉見坂 ともいったという説もあるが北方の坂か。







◆古壽老稲荷神社








続く。