六本木グランドタワーのまわりを散策。
チェック漏れで坂を何個か見落としていたらしい。
後日に巡ってみたいと思う。
坂上。
坂の途中の北側に、明治から大正三年にかけて、福井邸という寄席があったために、寄席坂と呼びならわすようになった。
元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった、明治初年この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。
◆御組(おくみ)坂
坂上。
幕府御先手組(おさきてぐみ・戦時の戦闘部隊で、常時は放火盗賊を取り締まる)の屋敷が南側にあったので坂名となった。
◆偏奇館跡
小説家永井荷風が、大正九年に木造洋風二階建の偏奇館(へんきかん)を新築し、ニ十五年ほど独居自適の生活を送りましたが、昭和二十年三月+日の空襲で焼しました。
荷風はここで「雨瀟瀟(あめしょうしょう)」「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」などの名作を書いています
偏奇館というのは、ペンキ塗りの洋館をもじったまでですが、軽佻浮薄な日本近代を憎み、市井に隠れて、滅びゆく江戸情緒に郷愁をみいだすといった、当時の荷風の心境・作風とよく合致したものといえます。
冀(ねが)くば来りてわが門を敲(たた)くことなかれ
われ一人住むといへど
幾年月の過ぎ来(こ)しかた
思い出の夢のかずかず限り知られず
「偏奇館吟草」より
続く。