前の日記、グリーンヒルズ森タワー公開空地から南下。
芝公園北西エリアを散策。
◆銀杏坂
名前の通り街路樹が銀杏並木だったけど・・・。
こちらも標識などは無かった。
◆芝公園山内歩道橋
「L」字になっている歩道橋だった。
右側の大きな建物は東京プリンスホテル。
10年以上前に一度だけ仕事で中に入ったことがある。
プリンスホテルの前あたり、google mapには「旧増上寺 徳川家霊廟(北廟)」とある。
『徳川家霊廟(とくがわけれいびょう)は、江戸幕府の将軍職を務めた徳川将軍家歴代の墓所のことで、江戸(現・東京)の寛永寺と増上寺、及び栃木県は日光の輪王寺にある。江戸時代の華麗な建築技術・意匠の粋を集めた建築群として日光東照宮と並び称されるが、このうち寛永寺と増上寺の霊廟は、大部分の建物が1945年(昭和20年)の戦災で焼失した。』
徳川家霊廟 - Wikipedia
と、wikiにあったので焼失する前はここにあったのだろう。
◆御成門
増上寺 (徳川家 菩提寺 )の裏門としてつくられたが、将軍が参詣する際にもっぱら用いられたので、「御成門」と呼ばれるようになった。
初め「御成門」は、現在の御成門交差点にあったが、明治二十五年の東京市区改正計画で、内幸町から増上寺三門を経て芝公園に至る道路が新設された際に、この位置に移築された。
その後、増上寺三門や旧庫裡(くり)門・徳川家墓地の惣門・二天門 とともに、関東大震災や太平洋戦争の戦火から難をのがれて今日に及んでいる。
◆御成門駅
◆有章院(徳川家継)霊廟二天門
現在の東京プリンスホテル敷地には戦前六代将軍家宣の文照院霊廟と並んで、七代将軍家継の有章院霊廟がありました。プリンスホテル正面の二天門は有章院霊廟の惣門です。霊廟は八代将軍吉宗が享保元年(1716)に建立しました。
その結構は日光に劣らぬと伝わる程でしたが、昭和20年(1915)に東京京大空襲で焼失しました。
この焼け残った二天門は銅板葺、切妻造りの八脚門で、左右に仏法宇護の役目を持つ広目天、多聞天の二点がられています。
焼けた文昭院霊廟の門に持国天、増長天が置かれ、合わせて四天王として祀られていました。
◆芝公園歩道橋
こちらも「L」字になっている歩道橋。
下の南北に通る道は日比谷通り。
続く。