細い路地を東へ歩いていく。
西新橋に本社を置く会社が多いね!
調べればまだまだありそうだね。
◆横浜ゴム本社
東証一部上場企業。
『横浜ゴム株式会社(よこはまゴム、英文社名 : The Yokohama Rubber Co., Ltd.)は、古河グループのタイヤ・ゴムメーカー。2016年度のタイヤ販売額シェアで、日本国内ではブリヂストン、住友ゴムに次いで第三位。世界では第八位である。
ヨコハマタイヤのブランド名で知られる。ドイツのコンチネンタルタイヤの販売元のひとつ(かつては総輸入元でもあったが同社の日本法人設立に伴い、販売代理店となる)。 』
横浜ゴム - Wikipedia
◆UCC上島珈琲㈱東京本部
非上場なんだね。
『ユーシーシー上島珈琲株式会社(ユーシーシーうえしまコーヒー、英: UCC UESHIMA COFFEE CO., LTD.)は、兵庫県神戸市中央区に本社を置く、コーヒーを中心とした飲料・食品メーカー。みどり会の会員企業であり三和グループに属している。 』
UCC上島珈琲 - Wikipedia
『三和グループ(さんわグループ、英語:SANWA GROUP)は、旧鴻池(こうのいけ)財閥と旧山口財閥が、戦後の財閥解体による再編で発足させた企業グループである。』
三和グループ - Wikipedia
企業の数がスゴイ・・・・。
UCCを探すのにかなり苦労したよ。
江戸時代、この公園の場所は、仙台藩主伊達家の中屋敷内にあり、鹽竈(しおがま)神社の境内になっていました。
この神社は、はじめ元禄八年(1695年)に今の東新橋にあった伊達家上屋敷内に、領地の鹽竈神社本社から分霊を迎えて祀られていたものが、安政三年(1856年)に移転され、邸内社として私に祀っていました。その後一般の人々にも参拝を許し、本社に同じく安産の神様として信仰を受けました。
明治になり、大名屋敷がなくなってからも神社は存続しましたが、大正12年の関東大震災の後、災害時の避難場所の確保と町民の安息や子供の遊び場もかねて、昭和5年に東京で唯一の町立鹽竈公園として開園しました。
その後昭和46年、港区が区立塩釜公園として整備しましたが、敷地拡張に伴い、この度、全面改造を行いました。
芝地区町名由来板
愛宕下町(あたごしたちょう)
里俗に愛宕下と呼ばれていたので、これを町名としたと伝えられています。明治五年(1872)、酒井下野守(さかいしもつけのかみ)、 大鳥備後守(おおとりびんごのかみ)、 水野山城守(みずのやましろのかみ)の屋敷を合併して愛宕下町一丁目、苗木藩遠山美濃守(なえぎはんとおやまみののかみ)と岡山藩池田氏の屋敷ほか武家地を合併して愛宕下町二丁目、 下妻(しもつま)藩井上氏の屋敷ほか武家地を合併して愛宕下町三丁目、 仙台藩、小諸(こもろ)藩、柳生(やぎゅう)藩の屋敷を合併して愛宕下町四丁目としました。
露月町(ろげつちょう)
むかしは日比谷門内にあり、当時は老月(ろげつ)村と称したようです。徳川氏が江戸城を修築するにあたり、民家をこの地に移して市街地を創立して老月町と称しましたが、 後に露月町と改めたと伝えられています。一説には、露月は天正年間(1573~1592) の里老(りろう)の名であるとも言われます。 明治三年(1870)、付近の土地に小石川金杉町と堺町の住民が移り、露月町新地としましたが、明治九年(1876)、これを露月町に合併しました。
柴井町(しばいちょう)
町の起立について詳細は不明ですが、一説には、元和年間(1615~1624)、この地の芝原(しばはら)ではじめて劇が演じられ、寛永年間(1624~1644)、芝居小屋は中橋(なかばし)に移り、その跡に開かれた市街地が芝居町(しばいちょう)で、後に柴井町と改めたといいます。 また一説には、 「鎌倉河岸の小芝居が残らず芝芝居に移された」、「芝居町の芝居小屋から出火して一同この地を引き払った。後、柴井町と改められた」とも伝えられています。
伊達騒動と「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」
江戸時代、塩釜公園および塩釜神社のあるこの場所は、 仙台藩番主伊達家の中屋敷でした。
(詳しくは公園内園名板横の 「塩釜公園の沿革サイン」をご覧ください)
この塩釜神社は、 はじめ元禄八年 (1695) に第4代藩主伊達綱村(つなむら)によって東新橋にあった上屋敷へ分霊を勧請されたといいます。 網村は伊達政宗の曾孫にあたる人物で、 領内の防風林設置や運河開発、 産業振興、 儒需学を奨励し藩史の編纂に尽力するなど「仙台藩中興の英主と讃えられました。
しかし、綱村は万治二年(1660)、 わずか2歳で藩主となり、寛文十一年(1671) には伊達騒動(寛文事件)が勃発して改易の危機に立たされるなど平坦な人生ではなかったようです。
伊達騒動(寛文(かんぶん)事件)
- わずか2歳の綱村には、 大叔父にあたる一関藩主伊達兵部宗勝(いちのせきはんしゅだてひょうぶむねかつ)(伊達兵部派)と、 叔父の岩沼
藩主田村宗良(いわぬまはんしゅたむらむねよし)が後見人となりましたが、 宗勝が実権を掌握して家老の原田甲斐宗輔(はらだかいむねすけ)らと藩権力の集権化を行うと、伊達氏一門(伊達安芸派)と対立します。そんな中、 一門の伊達安芸宗重(だてあきむねしげ)と宗勝の甥伊達式部宗倫(だてしきぶむねとも)との所領紛争が起き、 伊達安芸は幕府に一件を上訴します。
寛文十一年(1671)、 評定を行うため、関係者が大老酒井忠清(さかいただきよ)邸に集められますが、原田甲斐はその場で伊達安芸を斬り殺してしまいます。しかし原田甲斐も安芸派の柴田外記朝意(しばたげきとものり)らに討ち取られ、柴田外記も斬りあいの傷が元で死亡します。
この事件の処理として、伊達兵部派、伊達安芸派ともに処罰が下されましたが、綱村自信は若年だったことからお咎めなしとされ、改易は免れました。
「伽羅先代萩」はこの伊達騒動を題材に歌舞伎や人形浄瑠璃で演じられたものです。
◆東京日野自動車本社
『東京日野自動車株式会社(とうきょうひのじどうしゃ)は東京都港区にある日野自動車の自動車ディーラー。』
東京日野自動車 - Wikipedia
日野自動車とはまた違うんだね。
こちらはディーラーさんの会社だった。
◆住友金属鉱山㈱本社
東証一部上場企業。
『住友金属鉱山株式会社(すみともきんぞくこうざん、英文:Sumitomo Metal Mining Co., Ltd.)は、住友発展の基礎となった別子銅山や世界有数の金鉱脈がある菱刈鉱山などを経営する、住友グループの非鉄金属企業である。住友財閥の源流企業であり、住友グループ広報委員会及び白水会に属する企業である。』
住友金属鉱山 - Wikipedia
『白水会(はくすいかい)とは、住友財閥の直系、準直系、またはそれらから分離した企業など、住友グループの中核的会社の社長によって構成される社長会のことである』
白水会 - Wikipedia
続く。