2020/11/04 関西旅行3日目 宮島散歩 02 厳島神社前(厳島合戦跡/平清盛像/日本三景/世界遺産厳島神社/史跡及名勝厳島/神社前の商店街)

フェリー乗り場から厳島神社へ。
情報量が多いね。
有名な大鳥居はず~っと見えるのだが工事中でお姿が・・・・・。





注意書き!

観光客の皆様へお願い
●いじめない、触らない
鹿は人に馴れていますが、飼育されているペットではありません。
近づいたり、体に触ったりすると、危険な行動をすることがありますので注意してください。

●食べ物を与えない
鹿は草食動物です。人からの食べ物によってお腹を壊したり、病気の原因になりますので、食べ物を与えないでください。

●ゴミを捨てない
鹿がお菓子の袋や弁当のカラなどを食べてしまうと消化されず病気になりますので、捨てないでください。

《現在の宮島の鹿について》
 愛矯のある宮島の鹿は、人から餌をもらうことに馴れ、しだいに餌を求めて市街地に下りてきました。その結果、市街地に定着する鹿が増え、人馴れした鹿は餌の匂いからゴミをあさってビニールなどを食べてしまい胃の中にビニールの固まりが堆積し、鹿が長生きできなくなっています。
 そのため市は、鹿に食べ物を与えないことで、人馴れしてしまった鹿と人との距離を広げ、市街地に増えすぎた鹿を自然へ還す試みを行っています。鹿本来の野生のくらしを守るため、観光客の皆様には、ゴミ処理の徹底と鹿に餌を与えないよう、ご協力をお願いします。










厳島神社


毛利元就ゆかりの地 厳島合戦

 1551年(天文二十年)中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆は、その家臣陶晴賢の突然の謀反により滅亡した。義隆と盟友関係にあった、毛利元就は1553年(天文二十二年)晴賢に対し挙兵したが 戦力的に陶軍の方がはるかに優勢であったため、奇襲の一計を案じた。
 平地での戦いを不利と見た元就 は、厳島に洗浄を求め1555年〔弘治元年〕五月、島の宮尾に城を築き、陶の二万余の大軍をおびき寄せた。
 同年九月三十日、元就は三千五百の兵とともに、折からの暴風爾と夜陰に乗じ、厳島神社の背後にある包ヶ浦に上陸、翌十月一日早朝、山を越え塔の岡にある陶軍の本陣を急壟した。これに加え大鳥居侧の海から元就の三
男、小早川隆景の軍と宮尾城の兵が呼応し、厳島神社周辺で大激戦となり、不意をつかれた陶軍は壊滅した。晴賢はわずかな兵とともに島の西部へ敗走するが、なすすべもなく山中で自刃した。これが世に言う厳島合戦であ
 この合戦 に勝利した元就は、戦いで荒れた厳島神社の再建。修復に務め、中国地方統一の第一歩を踏み出したのである。









平清盛



 平清盛(1118年~1181年)
 平安時代末期の武将。保元の乱平治の乱を経て武士の第一人者となり、1167年には太政大臣に昇りつめた。1179年後白河法皇を幽閉し、翌年には娘徳子が産んだ安徳天皇を擁立して平氏政権を樹立したが、貴族や寺社などの反発を招き、源頼朝をはじめとする諸国の反平氏勢力の蜂起が広がる中、1181年熱病に倒れ、64歳でその生涯を閉じた。
 清盛がいつどのようにして厳島神社を信仰するようになったかは明らかではないが、1146年と1153年に安芸守に任じられ、1160年には厳島神社に参詣している。以後、清盛の厳島参詣は記録に明らかなものだけでも十度に及び、1168年には清盛によって現在のような厳島神社の社殿が造営された。
 1164年清盛と平氏一門は法華経などを書写して厳島神社に奉納した。いわゆる「平家納経」(国宝)である。清盛は「舞楽」を厳島にもたらし、当時都で盛んに行われていた管絃を奏する遊楽も移したと言われている。これが、現在は厳島神社の神事として行われている「管舷祭」(旧暦6月17日夜)の始まりである。








日本三景



厳島  広島県宮島町
松島  宮城県松島町
天橋立 京都府宮津市

あとは判読できないなあ・・・・。








世界遺産厳島神社

 世界文化遺産厳島神社」は、瀬戸内海の自然を代表する天然記念物「瀰山原始林」を頂く宫島の島全体をこ神体として、6世紀ころに創建されたと伝えられている。
originally established around the sixth century A.D.
 1168年、平清盛海上に浮かぶ寝殿造り様の社殿という独創的な神社建築を完成させた。平安時代の極に達し
た建築美の面影は、 多くの先人によって手厚く守られ、現在に伝えられている。
 周囲の海や山と見事なまでに調和した厳島神社の美しさと、その多彩な歴史は他に類例を見ないものである。また、神道の社殿群の中にかつての神仏混淆のなごりを色濃くとどめている。
 大鳥居の立つ海と背後の弥山原始林や都市公園を包含する地域は1996年12月7日「厳島神社」としてUNESCO
世界遺産に登録され、その価値は全世界で共有されることとなった。
 我々は、この貴重な遺産を後世に引き継ぐ責務を負ったのである。

弥山山頂(530m)付近には弘法大師開基と伝えられる弥山本堂や大師が求聞持の修行中に焚いた護摩の火が今日まで燃え続けている「霊火堂」などの史跡が点在する。
 この島は全島花商岩からなり、地質学的に興味深い事象が随所に現れている。また宮島の動物や植物もたいへん貴重なものが多い。動物ではミヤジマトンボや野生のシカなどである。植物では、ツガ、モミ、コウヤマキなどの針葉樹にアカガシ、クスノキヤブツバキなどの常緑広葉樹が混じり、その多様性は日本の縮図と形容されている。








史跡及名勝 厳島








神社前の商店街









続く。