あちこちフラフラしながらまだ西へ向かう。
◆経塚
切通の道、海側の崖の上にあった。
階段も気を付けていないと見落としていたかもしれない・・・・。
この丘は経ノ尾(きょうのお)と呼ばれている。経塚は清盛塚(きよもりづか)ともいわれ、清盛が平家一門の繁栄を祈願して一字一石経(いちじいっせききょう)を埋めたと伝えられる。昭和19年開墾の際一部が発掘されて、銅製の経筒、陶製の甕(かめ)と中国宋代の白磁(はくじ)の盒子(ごうす)、梅花双雀鏡(ばいかそうじゃくきょう)、刀片などが発見された。これらはすべて平安時代のものとみられる。経塚のあたりは積石で覆われ、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石燈龍などがあるが、後世のものである。
◆宮島水族館
今回は中に入らなかった。
また来たときに寄ってみよう。
御祭神
国常立尊 (くにとこたてのみこと)
大山祇神 (おおやまづみのかみ)
保食神 (うけもちのかみ)
相殿神
佐伯鞍職 (さえきのくらもと)
例祭日
一月二十日(百手祭)
ご由緒
御鎮座の年月不詳
仁安三年(1168)
「伊都岐島社神主佐伯景弘解」に大伴社と記述があるのが現在の大元神社と考えられる。
現在の本殿は大永三年(1523)に再建されたものである。
続く。