ロープウェーの後は厳島神社周辺を散歩。
少しずつに北東へ向かう。
江戸時代、厳島神社は神仏習合の社として信仰を集め、その管理・運営は棚守・座主(ざす)・大願寺によって行われていた。棚守は、神職を代表して神事を行い、自らも舞楽を舞っていた。戦国時代の棚守房顕(ふさあき)は、大内義隆(おおうちよしたか)や毛利元就(もうりもとなり)の御師(おし)を務め、厳島神社の再興に尽力し、厳島神社高舞台の擬宝珠(ぎぼし)には「棚守左近将監(さこんしょうげん)房顕 天文15年(1546年)」の銘文がある。
この屋敷は、広島藩主などの来島時の宿泊所となり、邸内には能舞台もあったといわれる。
また、ここから大聖院にかけての石垣の上には、祝師(ものもうし)・上卿(じょうけい)などの神職や、仏事を行った社僧(しゃそう)、東泉坊(とうせんぼう)・執行坊(しゅぎょうぼう)・修善院(しゅぜんいん)・多聞坊(たもんぼう)などの寺院が並んでいた。
林家は古くから厳島神社の神職をつとめ、朝廷の差遣される奉幣使(ほうへいし)の代参をつとめて上卿とよばれていた。
現在の建物は元禄時代の建築で、全国的にも数少ない社家の遣例の一つで、国の重要文化財に指定されている。
表門は小さな薬医門で、主屋正面の妻には豕叉首(いのこさす)に梅鉢懸魚(うめばちけぎょ)をつけ、南側正面の千鳥破風のついた玄関には式台をもうけ、木連格子(きつれごうし)、かぶら懸魚を備えて社家らしい風格がある。
屋敷割や石垣·・庭園などもよく保存されている。
◆厳島神社 祖霊社
氏子の祖霊を祀る社とのこと。
御条神
中央 佐伯鞍職(さえきのえらもと) 安德天皇(あんとくてんのう) 所翁(ところのおきな) 岩木翁(いわきのおきな) 大綿津見命 (おおわたつみのみこと)
左殿 大己貴神(おおなむちかのかみ) 猿田彦神(さるたひこのかみ)
(向って右)
右殿 御子内待(みこないし) 竹林内侍(たけばやしないし)
(向って左) 徳寿内侍參祖神(とくじゅないしかくそしん)
例祭日 十月二十三日
御由猪 御航座 の年月不詳
治承元年(1177)
「伊都岐島社千僧供養目記」に比叡御社壇と記述があるのが現在の三翁神社と考えられる
明治以前は山王社と称されていた
御祭神
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
例祭日
十一月二十日
ご由緒
御鎮座の年月不詳
現在の本殿は嘉吉元年
(1411)に造営されたものである
続く。