ここでは広島城南側から西側へ移動。
◆明治天皇聖蹟「御用井」
日清戦争の際、広島大本営で指揮を執られた明治天皇の御用水の井戸の跡。
説明板などは見当たらなかった。
『加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日〈文久元年2月22日〉- 1923年〈大正12年〉8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。階級は海軍大将、没後 元帥海軍大将。
日露戦争で連合艦隊参謀長(日本海海戦時、第一艦隊参謀長兼任)、ワシントン会議で日本首席全権委員を務める。海軍大臣(第8代)、内閣総理大臣(第21代)を歴任し、山梨軍縮やシベリア出兵撤兵を成し遂げた。 』
加藤友三郎 - Wikipedia
広島湾を古くは己斐浦(こいのうら)とよび海を背景にした広島城はあたかも真鯉の躍る姿に似て鯉城とも言われている。
この鯉の像は平和と飛躍を希求して我がクラブ20周年記念事業として広島市に寄贈したものである。
調べると「広島高等学校」関係者の句碑や歌碑等がおかれているとのこと。
上と下の石碑はこちらの一部ということだね。
参考
5ba01 (中央公園)広高の森
『旧制広島高等学校(きゅうせいひろしまこうとうがっこう)は、1923年(大正12年)12月に設立された官立の旧制高等学校。略称は「広高」(ひろこう)。 』
著名な出身者一覧の中で存じ上げるのは「丹下健三」さん。
広島高等学校 (旧制) - Wikipedia
◆石碑
「おさふれば はねむとすらむ 若竹の 眞日の大空 ひたさしのぼる」
続く。