2020/11/16 石神井公園散歩 02 西武池袋線ホーム/石神井公園駅/石神井火車站之碑/パークロード石神井/石神井大鷲神社・大國天社/ふじ大山道跡碑/友の湯

サンシャインから西武池袋線石神井公園まで移動。


西武池袋線ホーム




西武池袋線石神井公園駅から西武新宿線井荻駅まで散歩。



ここでは石神井公園駅南側を散策。



石神井公園駅










石神井火車站之碑



 この石碑は、大正四年(1915)の武蔵野鉄道石神井駅(現西武鉄道池袋線石神井公園駅)の開業を記念し、大正九年五月に地元の有志により造立されました。火車站とは中国語で駅の ことです。
 表面には、駅の建設や鉄道完成による利便や喜びを漢文・漢詩で記すとともに、近くにある石神井城・三宝寺池長命寺等の歴史や見どころを紹介しています。裏面には、寄付者名などが刻まれています。
 都市化に大きな役割をはたした鉄道・駅の開設を記念する石碑です。

(表面銘文読み下し)
石神井火車站之碑
大正四年四月武蔵野鉄道成る。其の軌道、池袋に起こり飯能に訖(いた)る。延長十有余里、石神井駅恰(あたか)も其の軌路に当たり、郷人挙げて之を賛う。担地五千余坪に火車站を設け、以て交通殖産の利便に資す。古(いにしえ)を稽(かんが)うるに、治承四年豊島権守平清光有り、源頼朝に従い此の地を領す。六世の孫泰景、上杉管領に属し、城を築きて此に居す。文明九年太田道灌兵を率いて之を攻む。勘解由左衛門尉泰経(かげゆさえもんのじょうやすつね)、其の弟泰明と戮力(りくりょく)して之を防ぐも利あらず、城遂に陥る。其の廃地、今に至り犂然たり。考うべし。城の北に瀦水有り、三宝寺池と日う。其の周り五百三十余歩、清冽(せいれつ)なる澂鑑(ちょうかん)、冬温かく夏清(すず)しく窅邃(ようすい)たり。遊ぶべし。駅を距(へだ)て少し許(ばかり)また東高野山長命密寺(ひがしこうやさんちょうめいみつじ)有り。慶安四年慶算阿闍利(けいさんあじゃり)の開基する所なり。寺境は静閴(せいげき)、賓者雲集(さいしゃうんしゅう)す。 矧(いわん)や京を距つこと指願(しこ)の間に在るを以てをや。春秋の佳日(かじつ)、徜徉(しょうよう)遊息(ゆうそく)の客、常に跟踵(こんしょう)を接す。斯(ここ)に古蹟(こせき)有り、斯に浄区有り。しかるに車馬の便不完にして郷人太之(はなはだこれ)を嗟(なげ)く。今や鉄路一串(いっかん)し履(くつ)を泥(けが)さずして遊(あそび)を得る。是れ僉(みな)鉄路の賜なり。郷人之を徳とし、輙ち石を市(か)い其の縁由を馨(うが)ちて後毘(こうこん)に眎(しめ)す。銘に日く。

三宝寺池 明漪(めいい)底を絶ち 長命密寺 飛観(ひかん)霞に啓(ひら)く
鉄路道を貫き 人労牌髀(ろうひ)すること靡(な)し 斯れ是れ祥禎(しょうてい) 天秩(てんちつ)の礼有り







◆パークロード石神井

商店街♪









石神井大鷲神社・大國天社












◆ふじ大山道跡碑



 ふじ大山道は道者街道、富士街道ともよばれています。それは阿夫利山ともいわれた大山へ、また大山から富士山への道者達が通ったからです。北町一丁目で川越街道から分かれて、石神井、田無を経て伊勢原(神奈川県)に達していました。 練馬の中央部をほぼ東から西南に横断して区内では約八キロメートルに及んでいます。そしてその分岐点には、「従是大山道」と刻んだ道しるべが立てられたのです。
 旧暦の六月は、俗に祭月とよばれているように、江戸や関東の各地では、祭礼がさかんに行われました。阿夫利山も「水の無い月に雨降る山は開き」と あるように、六月二十八日が初山(はつやま)で、それから七月十四日まで、連日、関東の村々から集まった人びとでにぎわいました。 その白衣の道者たちが通ったのがこの街道です。









◆友の湯

銭湯♪








続く。