石神井公園西側の三宝寺池南側エリアへ到着。
池の周りを時計回りに歩き公園西側へ移動。
水川神社は、社伝によると応永年間(1394~1428)この地を領していた豊島氏が武歳一の宮の分霊を奉斎して石神井城内に創建したといわれています。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)の三柱です。文明九年(1477)石神井城落城のあとは、石神井郷の総鎮守として上石神井・下石神井・谷原・田中・関の五か村の人びとから崇敬されました。境内末社には江戸時代からの北野・須賀・稲荷をはじめ御織・八幡・三嶋・榛名・浅間・三峯・阿夫利の各社があります。
境内には、享保十二年(1727)の「石神井郷 鎮守社 御手洗鉢」と刻まれた水盤をはじめ多くの石造物があります。なかでも本殿瑞垣(みずがき)の内にある左右一対の石燈籠は、右側の竿に元禄十二年(1699)豊島泰盈(やすみつ)が寄進したことが刻まれ、左側のものは、火袋が失われ銘文が欠落していますが、泰盈の子泰音(やすたか)によって奉納されたと伝えられています。
〇豊島氏奉納の石燈篭(平成六年度 練馬区指定文化財)
○氷川神社の水盤(昭和六十三年度,練馬区登録文化財)
神楽殿
◆石神井城址
再訪したので別のページにまとめた。
2023/05/24 石神井城跡 - ovanの社会科見学
三宝寺池は、井の頭池や善善福寺池などとともに、武蔵野台地の地下水が湧出し水をたたえてできた池です。面積は、およそ2万4千㎡、水深は平均約2mです。
昔から、水量が多く夏でも冬でも、容易にかれなかったといわれましたが、年々湧水が減少し、現在地下水を汲み上げて補給しています。
江戸時代には、池の小島に弁天様が祝られ、この池を主な水源とする石神井川の恩恵をうけた流域四十余か村の農民が、「講」をつくって尊崇していました
また、古来禁猟地であったため草木がよく繁茂し、鳥類か多く昭和十年(1935)に「三宝寺池沼沢植物群落」として、国の天然記念物に指定され、ミツガシワ・シャクジイタヌキモなどが保存の対象となりました。
◆宇賀神社穴弁天
上記厳島神社の境内になるんだろうか?
すぐ近くにあった。
◆石神井松の風文化公園
続く。