2020/11/22 妙正寺


妙正寺(みょうしょうじ)は、東京都杉並区清水にある日蓮宗の寺院である。山号は法光山(ほうこうさん)。近隣にある妙正寺池(妙正寺公園)やそこを水源とする妙正寺川は当寺院が名の由来となっている。旧本山は中山法華経寺。達師法縁。』
※2022/12/03 に再訪したので、2020/11/22の記事をもとに再編集した。





 法光山妙正寺は、日蓮宗の寺で十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神三十番神・弁財天などの諸像が祀られています。
 約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺(千葉県)の第三世日祐上人が、妙正寺のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神八幡大神春日大神など三十番神を勧請したのが草創であり、正保三年(1646)中興開山日明が社殿再建してから、広く信仰されるようになったといいます。
 慶安二年(1649)、三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し、葵の紋幕と朱印地五石を寄進してからは、「御朱印寺」として一層有名になりました。現在でも、毎年十月二十五日に三十番神堂に、葵の紋幕を掲げて一般に公開する法会が行われています。
 天保元年(1830)に本堂は古文書類と共に焼失しましたが、天保三年には再建され、昭和六年に改築して今日に至っています。
 また、三十番神堂及び鐘楼は安政三年(1856)の大暴風で倒壊し、安政六年に再建されました。なお、現在の鐘楼は、昭和三十八年に新しく建て替えられました。
 当寺に伝わる鎌倉期から室町期の板碑八基は、妙正寺池周辺の古い村落のことがうかがえる貴重な文化財です。
 鬼子母神像は、「生毛(しょうもう)鬼子母神」と称され、安産に霊験ありとして、江戸城大奥にありましたが、天保改革(1841)の大奥粛清(しゅくせい)の時、この寺に移されたもので、それ以来この地域の人々に「安産の神」として親しまれてきたといわれます。
 なお、弁財天像は、もと妙正寺池の弁天島に祀られていたものです。







豊川稲荷







◆稲荷社







◆鳥居のトンネル







豊川稲荷/稲荷社 鳥居







◆鐘楼







本因坊六世知伯の墓

 知伯は宝永七(1710)年、下井草村の井口半右衛門の次男として生まれた。 母は本因坊五世道知の姉であった。知伯は母の実家で養われ、五世道知の指導を受けたものと思われる。享保七(1722)年、知伯は十三歳で本因坊跡目となり、翌享保八年九月には道知の後を继いで六世本因坊を名乗り、同年十一月には御城碁を勤めている。しかし、 享保十八年、わずか二十四歳の短い生涯を終えた。この墓は本因坊知伯の出身等の記録を実証する資料として貴重である。







三十番神



2022/12/03 撮影







◆山門



2022/12/03 撮影







◆山門

2022/12/03 撮影







◆冬に咲く桜

2022/12/03 撮影







◆参道入口