2020/11/06 関西旅行5日目 奈良散歩 08 猿沢池/植櫻楓之碑/奈良県庁/奈良商工会議所/ひがしむききた商店街

興福寺から近鉄奈良駅へ徒歩で向かう。



猿沢池



猿沢池(さるさわいけ、さるさわのいけ)は、奈良県奈良市奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、「猿沢池月」 は南都八景のひとつとなっている』
猿沢池 - Wikipedia







◆植櫻楓之碑(しょくおうふうのひ)



 幕末の弘化三年 (1846)から嘉永四年 (1851)までの五年間奈良奉行を勤めた川路聖談(かわじとしあきら)はその識見と善政によって住民から深く敬愛された。
 この碑はその一端 彼の呼びかけで桜と楓の苗木数千株を東大・興福両寺を中心に南は白毫寺西は佐保川堤まで植樹した時の記念碑である。多くの苗木を寄附した奈良の住民たちの自然景観への愛着と配慮、また後世の人に補植を呼びかけた。その先見の鋭さは奈良公園愛護の教調として敬服のほかない。
 なお彼は大坂町奉行 外国奉行等幕閣に重きをなし慶応四年三月十五日(1868明治元年)江戸落城の報に自尽して幕政に殉じた。

寧楽の都となるや古より火災少なし。是を以て千年の久しきを閲(け)みして、厳然としてなお存するもの枚挙に遑あらず。豈(それ)、大和の国は天孫始闢の地なり。故に神ありて或は之を佑護するか。且つ土沃え、民饒かに、風俗淳古にして、毎(つね)に良辰美景に至れば、則ち都人榼(たる)を挈(さ)げて興福東大の二大刹に遊び、筵を敷き席を設けて、嬉(たの)しみを遨(あそ)び、娯(たの)しみを歓び、まことに撃壌の余風、太平の楽事なり。是の時に当たり遠遊探勝するものもまた千里よりして至る。故に二刹嘉木奇花多し。而して宝暦中、桜の千株を植うるものあるも、侵就枯槁して今則ち僅かに存するのみ。今季、都人相議し、旧観に復さんと欲し、すなわち桜楓数千株を二刹の中に植う。以て高円佐保の境に及ぶ。一乗大乗の両門跡これを嘉し、賜うに桜楓数株を以てす。是に於て靡然として風を仰ぎて、之を倣らうもの相継ぎ、遂に蔚然として林を成す矣。花時玉雪の艶、霜後酣紅の美、みな以て遊人を娯しませて心目を怡(よろこ)ばすに足る。衆人喜び甚しくまさに碑を建て其の事を勒せんとして記を余に請う。余謬って寵命を承け、此の地に尹(奈良奉行)として五季なり矣。幸いにして僚属の恪勤、風俗の醇厚に由りて職時暇多し、優游臥(ふ)して累歳を治むるに滞り無し。獄囹圄時に空しくして、国中竊盗もまた減ずること半ばに過ぐ。是に由り官賞して属吏に賜う。而して都人もまた以て其の楽しみを楽しむを得。況んや今此の挙あるや、唯に都人の其の楽しみを得るのみならず、而して四方の来遊者もまた相ともに其の楽しみを享(う)く。此れ余の欣懌してやむあたわざるところなり。然れども歳月の久しき、桜や楓や枯槁の憂い無きあたわず。後人の若し能く之を補えば、則ち今日の遊観の楽しき、以て百世を閲みして替えざるべし。此れ又余の後人に望むところなり。故に辞さずして之を記し、以てこの碑に勒す。一乗法王為めに其の額に題す。余の文の譾陋(せんろう)観るに足らず。然れども法王の親翰、則ち桜楓をして光華を増さしむるに足らん矣。







奈良県







奈良商工会議所







◆ひがしむききた商店街

商店街♪
こんな街中にもシカが居るんだね・・・・・。






続く。