2020/12/13 東大泉散歩 01 石神井公園駅/富士そば/一里塚/西武線高架/東京商科大学予科校舎旧跡/石神井稲荷神社

散歩の前に・・・・。
月と金星。

かなり接近したね!





24時間勤務アケで、西武池袋線石神井公園駅から都営大江戸線光が丘駅まで歩く。

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石神井公園の南側に出た後はすぐ腹ごしらえ(w
いつもは新木場で食べてきちゃうんだけど、今度から現地で朝ごはんにしようと思う。
一里塚を巡った後は西武線の高架をくぐり北西へ向かう。



石神井公園駅




スタートの西武池袋線石神井公園駅






富士そば



富士そばで味噌ラーメンが食べられるとは!
美味しかった♪






◆一里塚



どれが一里塚だったんだろう?
庚申塔がたっているだけのような。。。







西武線高架



西武池袋線の北側へ。






東京商科大学予科校舎旧跡

 右手石神井稲荷神社の社殿かたわらに、旧制東京商大(現・一橋大学予科校舎旧跡記念碑及び、神社入口に説明板あり。







石神井稲荷神社



 兹、石神井ハイツの広大な敷地は、大正十二年(1923)関東大震災の頃は東京府北豊島郡石神井村大字下石神井と称し、旧制東京商科大学(現・一橋大学) の運動場であった。
 偶々(たまたま)神田一ツ橋の校舎を焼失したため、急遽仮校舎を新築し、翌十三年四月より昭和八年(1933)八月小平に移るまでの約九年余商大予科生の学んだ場所である。
 当稲荷はそれより古くからここにあり、村人の崇敬厚く、日フここに集まり散じた数千の若者達を見守り、送り出してきた。境内の石鳥居は校舎竣工時、旧地主たる豊田銀右衛門氏の寄進による。
 社殿右手の予科校舎旧跡記念碑は、昭和五十三年(1978)、入口の神社名碑及び赤鳥居と共に有志により建立された。 その際併せて社殿の修復を行い敷石も寄進した。爾来十六年、商大転入以来七十周年を記念して記す。





東京商科大学予科校舎は大正十三年四月より昭和八年九月まで(1924~33)この地にありこの間ここて学んた若人達はやがて襲い来る嵐の時代を前に 残された 最後の自由と青春の日日を 謳歌し 誇り高い士魂商才の伝統に育まれその後本科を経て巣立ち逞しく爽やかに五大州に雄飛することかできた
烏兎匆匆五十年 波乳万丈の明け暮れの後 今再び懐しの故地石神井原に帰り来てみれば景観激变し 昔を偲ぶよすがとてなく 一切に忘却の被方へ 消え去ろうとしている 愛惜の念 まことに 止みがたきものあり 春の日の花と輝く想い出に 集うはらかも相計り ここに記念の碑を刻み 心の故郷 とする







続く。