まだまだ北西へ進み、関越自動車道大泉インターまで進む。
隠れているが、奥の道路?の下あたりに「比丘尼橋遺跡C地点(練馬区No155)」のマークがある。
◆大泉氷川神社
当社の創立年月日は定かでありませんが、武蔵国一の宮氷川神社への崇敬の念から勧請したもので、明治維新におよび、村民はここを当村(橋戸村)の鎮守と定め、明治七年に村社となりました。
祭神は須佐之男命、大己貴命、稲田姫命で、相殿に愛宕神社(祭神、香具槌命、火産霊命)、境内社に稲荷神社、白山神社、弁天社、御嶽神社があります。
明治十三年(1880)社殿の改築が行われましたが、社殿の老朽化に伴い、昭和50年にいたり鉄筋コンクリート造り、銅板葺・流造に改築されました。
稲荷神社は江戸時代、橋戸村に所領をもっていた伊賀組衆の守護神として祀られていましたが、明治維新後、村民に下げ渡されました。もと村内愛宕社にあったといいます。
稲荷神社の鳥居右手に嘉永二年(1849)伊賀組衆108名が奉納した御手洗石があります。それには、天正十八年(1590)徳川家康の入府に従って、江戸周辺に給地を賜った伊賀衆の由緒が漢文で刻まれています。同時に奉納した石鳥居は破損して境内に保存されています。
境内にはそのほか昭和7年市域合併記念の石灯籠や荘氏由緒碑があります。
当社は南に白子川を望む丘陵に位置し、四季を通じて深い緑につつまれています。
神楽殿
伊賀衆奉納の水盤・鳥居
嘉永二年(1849)銘。東京外環大泉インターチェンジ付近にあった愛宕神社脇の稲荷社のもの伝えられる。水盤側面に伊賀衆が水盤、鳥居を奉納した経緯などが刻まれ、鳥居と合わせて108人の氏名が刻まれている。
国旗掲揚塔
◆庚申塔
google map では『庚申塔(大泉町5)』となっていた。
◆大泉高架橋
上は関越自動車道。
地図を見ると大泉インター、東北縦貫自動車道とのジャンクションになっている。
続く。