2020/12/27 練馬早宮散歩 05 はやいち公園/下練馬道碑/開進一小前歩道橋/埼玉道説明板 庚申塔/早宮公園/田柄早淵道祈念碑/庚申塔

早宮中央通りを進み、池袋谷原線へ出る。
池袋谷原線を少し北西へ進み、通りを離れて西へ進む。



◆はやいち公園





◆下練馬道碑

はやいち公園内にあった。



 この道は、旧下練馬村の今神・本村・重現・早淵など、村のほぼ中央を北東から南西へ走る幹線道の一つでした。
 旧川越街道を板橋区上板橋1丁目(旧上板橋村字七軒家)付近でわかれ、練馬区に入ります。
 錦二丁目のの金乗院を迂回して、須賀神社から開進第一小学校の南側を通り、中之橋で石神井川を渡ります。そこからはさらに練馬城址の東側(豊島園駅西側)を通って清戸道と交差し、中村三丁目の良弁塚前から中野区鷺宮の福蔵院方面へ通じています。
 下練馬村には北端を川越街道が、南端中新井村との境を清戸道が通り、川越街道を下練馬宿で分かれ西に向かう富士大山道があります。富士大山道は名前の示す通り信仰の道でもありました。この下練馬道は村の中心から近郷の村々へ通じる便利な生活の道でした。





◆開進一小前歩道橋







◆埼玉道説明板 庚申塔



 埼玉道は、清戸道(千川通り)を江古田駅の南、二又で北西へ分かれて、埼玉県戸田市方面に至る道です。二又は下練馬・上板橋・中荒いの三か村の村境でした。
 二又から西部池袋線の踏切を越えると間もなく庚申塔があります。明和二年(1765)羽根沢の人たちが造立したものです。さらに環七通りを過ぎ、開進第三小学校脇を北へ進むと正久保橋に出ます。新道は橋を渡り北西へ真直ぐ伸びていますが、旧道は東へ迂回して光伝寺脇へ出ます。光伝寺には昔の正久保橋の親柱が保存されており、石橋を架けて村人の労苦を救った僧教海の功績を今に伝えています。
 道は旧下練馬村の鎮守氷川神社の北を回り、再び新道に出ます。途中右手に宝永二年(1705)の庚申塔や正徳三年(1713)の地蔵菩薩像が見えます。
 新道は開進第一小学校の南で旧下練馬道と交叉し、さらに直進して丸久保で大山街道と交わります。傍らに道しるべを兼ねた馬頭観音が建っており「高田二里 ぞうし賀や二里」と彫ってあります。これまでの道を逆に辿ると高田・雑司ヶ谷へ着き、別名高田道と言って雑司ヶ谷鬼子母神への信仰の道でもありました。
 埼玉道は、旧上・下練馬村の境(北町と田柄の境)を北へのぼり、川越街道を渡って下赤塚から荒川早瀬の渡しへ出ます。渡しを越すと埼玉県です。埼玉道と呼ばれるゆえんです。






◆早宮公園



春風

北村善平 作

北村善平





◆田柄早淵道祈念碑

早宮公園内にあった。






庚申塔







続く。