新桜台駅に到着後は東へ進んで「青柳家住宅主屋」と「武蔵野音楽大学」へ。
その後は同じ道を新桜台駅まで戻り北上する。
◆新桜台駅
◆青柳家住宅主屋
国の登録有形文化財。
金沢清の設計。
金沢清は、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライト(1867~1959年)の弟子と伝えられているとのこと。
参考
青柳家住宅主屋 (あおやぎけじゅうたくしゅおく):練馬区公式ホームページ
こちらではないが埼玉県入間市にある武蔵野音楽大学の「楽器博物館」にお邪魔したことがあった。
2013/10/24 楽器博物館 - ovanの社会科見学
◆新桜台駅前商店会
商店街♪
埼玉道は、清戸道(千川通り)を江古田駅の南、二又で北西へ分かれて、埼玉県戸田市方面に至る道です。二又は下練馬・上板橋・中新井の三か村の村境でした。
二又から西部池袋線の踏切を越えると間もなく庚申塔があります。明和二年(1765)羽根沢の人たちが造立したものです。さらに環七通りを過ぎ、開進第三小学校脇を北へ進むと正久保橋に出ます。新道は橋を渡り北西へ真直ぐ伸びていますが、旧道は東へ迂回して光伝寺脇へ出ます。光伝寺には昔の正久保橋の親柱が保存されており、石橋を架けて村人の労苦を救った僧教海の功績を今に伝えています。
道は旧下練馬村の鎮守氷川神社の北を回り、再び新道に出ます。途中右手に宝永二年(1705)の庚申塔や正徳三年(1713)の地蔵菩薩像が見えます。
新道は開進第一小学校の南で旧下練馬道と交叉し、さらに直進して丸久保で大山街道と交わります。傍らに道しるべを兼ねた馬頭観音が建っており「高田二里 ぞうし賀や二里」と彫ってあります。これまでの道を逆に辿ると高田・雑司ヶ谷へ着き、別名高田道と言って雑司ヶ谷鬼子母神への信仰の道でもありました。
埼玉道は、旧上・下練馬村の境(北町と田柄の境)を北へのぼり、川越街道を渡って下赤塚から荒川早瀬の渡しへ出ます。渡しを越すと埼玉県です。埼玉道と呼ばれるゆえんです。
練馬区独立30周年記念碑
練馬区は昭和22年8月1日に板橋から分離独立し、この地に練馬区役所を設けました。
この記念碑は、昭和52年に練馬区立開進第三小学校の校庭に練馬区独立30周年を記念し建立されたものですが、練馬区独立60周年を機に東側道路に移設し、広く区民の皆さまに親しんでいただくことにしました。
続く。