2020/12/29 練馬桜台散歩 08 広徳寺/大橋/不動明王座像と敷石供養塔/桂徳院/地蔵尊/庚申塔/庚申塔

大橋からは石神井川を離れて細い路地を南東へ進む。



◆広徳寺

「拝観謝絶」とあったので中へ入らなかった。



 北条氏政の子、岩槻城主太田氏房が明叟和尚を小田原に招き、早雲寺の子院として開山したのが創建で、小田原城落城(1590)の際、焼失したと伝えられています。その後、徳川家康が二世希叟和尚を江戸神田に招き再興しました。寛永十二年(1635)には下谷に移り、加賀前田家をはじめ諸大名を檀家とする江戸屈指の大寺院となりました。しかし関東大震災で寺域は焼失し、その後の区画整理のため、大正十四年(1925)からこの地に墓地を移し、別院としました。昭和四十六年には本坊も移し、平成二年の開山明叟和尚400遠年諱を記念して、庫裡、位牌堂を建て替え、現在のたたずまいとなりました。
 墓地には、剣法の指南役として有名な柳生宗矩、三厳(十兵衛)父子の墓や将軍家茶道指南役で庭園築造にも事蹟のあった小堀遠州の墓(茶人らしい笠付棗形の墓石)があります。三厳と遠州は沢庵禅師を通じて禅にも深い理解がありました。
その他、文禄・慶長の役で活躍した立花宗茂や、江戸時代の詩人菊池五山、菊池秋峯、大内熊耳など、大名、学者、文人墓所が数多くあります。
 ここは禅の修行場でもあります。寺域内では静寂に心がけてください。




google mapには前述の「柳生十兵衛の墓」のマークもあった。







◆大橋

下は石神井川










不動明王座像と敷石供養塔



 石神井川に架けられる「大橋」は、江戸時代後期には存在しており、埼玉道(さいたまみち)から現在の新桜台駅辺りで分岐して北西に伸び、ふじ大山道(おおやまみち)へ至る旧道(田中道)が通っていました。
 向かって中央の不動明王(ふどうみょうおう)座像は、文政四年(1821)二月二十八日に旧下練馬村早淵(はやぶち)(現在の早宮二丁目および早宮一・三・四丁目の一部)の念仏講中が建立したものです。正面には「不動明王を造立し奉り村人の安全を祈る所」と刻まれています。
 向かって右側の敷石供養塔は、寛政四年(1792)閏(うるう)二月十一日に八日溝中・念仏講中によって建立されたもので、その後享和三年(1803)二月に宮ヶ谷戸(みやがやと)(現在の早宮三・四丁目の一部および練馬三・四丁目の一部)の玄覚(げんかく)という人が金三両一分を寄進したことも刻まれています。正面には上部に不動明王を表す梵字「カーンマン」の一字が刻まれ、その下に「建立し奉る鋪石供養塔」と刻まれています。
 言い伝えによれば、相模の大山(神奈川県伊勢原市)へ詣でる人がここで禊(みそぎ)を行ったといいます。かって早淵や宮ヶ谷戸の人々が、「大橋」のたもとで交通の安全を祈願し、道や橋に敷石を行って整備していたことがわかります。








◆桂徳院









地蔵尊








庚申塔








庚申塔









続く。