2021/01/07 赤塚散歩 02 板橋区立郷土資料館


だいぶ前に来たことがある。
調べたら2016年だった。
懐かしい・・・・。



展示スペースはそれほど広くないが、各時代ををしっかり勉強することができた。



企画展示



貴重なカメラを見ることができた。
1.2の企画展も見たかったなあ。



屋外展示(旧田中家住宅)






 この民家は江戸時代後期(推定)に建てられたもので、関東地方の民家として典型的ないわゆる「田の字型」の形式をとっている。
 敷地は、現在緑道となっている旧前谷津川を南に見下ろす日当りの良い緩斜面であり、住むにも農作業にも最適の場所だった。

 日本の民家の間取りは、図のように変遷してきたと考えられる。
 ここに移築した民家は江戸時代後期(推定)に建てられた旧田中茂雄氏宅であり、テイ(表座敷)12畳半。ザシキ(奥座敷)10畳。板張のオカッテ(お勝手)、そしてヘヤと呼ばれたナンド(納戸)の4部屋が田の字型に配置されている。
 昭和の初期までランプと火鉢の生活であり、押入れなどもない簡素な暮らしだった。またさらに以前は、畳もザシキだけに敷くものだった。
 神棚と仏壇、大黒柱などの位置もよく観察し、今の住宅との違いを考えてみたい。



 旧田中家住宅は、板橋区有形文化財に登録されており、建物は江戸時代の典型的な茅葺を施した農家建築として、その外観は、かつての武蔵野の面影を残す貴重な景観資源であることから、板橋区景観計画における景観重要建造物に指定されています。


古民家ー母屋、納屋、井戸小屋



◆古民家
 昭和四十六年に徳丸五丁目の田中茂雄氏から寄贈されたもので、屋根は茅葺きの寄せ棟造りで、内部は土間と四つ間取りの部屋がある関東地方では代表的な造りの農家建築です。
 建築時期は江戸時代後期のものと推定されますが、移築されるまでのおよそ百年間に改築が行われ、 建てられた当時のものではありません。 ◆納屋
 昭和四十七年に蓮根二丁目の中村辰三氏から寄贈 されたもので、切り妻・瓦葺きで一階の床が板張りとなっていました。
◆井戸小屋
 昭和四十八年に大門の須田新次氏から寄贈されもので、このような「つるべ井戸」は、庭の東隅に 掘られることが多かったようです。


漬物樽(つけものだる=とうご)



 沢庵漬け用の大樽である。板橋区練馬区は、江戸時代から練馬大根の生産地として有名で、大半は漬物として年間を通じて重宝された。ここにある木製の漬物用大樽は、板橋区大門の漬物商が使用していたもので、別名「とうご」と呼んでいる。この樽で大根4千本以上が入る。
 このような大樽は、最初酒造用に用いられ、次に味噌・醤油と経て、最後が漬物用となった。100年間は持つといわれ、ときどき竹製のタガを取り替えた。樽の値段は、昭和10年代で新品200円、昭和40年頃の中古のでは5〜10万円であったという。


石造文化財



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 当館の中庭には、この後ろと左手の植え込み内に、庚申塔(こうしんとう) 三基と、馬頭観音(ばとうかんのん)、不動明王(ふどうみょうおう)、石燈籠 (いしどうろう)、狂歌碑(きょうかひ)、狛犬(こまいぬ)、種類不明各一基 の、合計九基の石造文化財があります。
庚申塔
 庚申塔庚申信仰の庚申待(こうしんまち)・庚申講(こうしんこう)によって造立された石造物です。
 康申信仰とは、人の体内にはみな三尸(さんし)という三匹の虫がいて、毎日 宿っている人の罪や過ちを観察し、庚申の日(六十日に一回まわってきます) に人が眠ると、三尸が人の体内から抜け出して天帝に宿っていた人の罪過を報告し、それによって天帝がその人の寿命を削ると考えられた信仰です。
 そこで、庚申の日の夜に人々が集まり、三尸が体内から抜け出さないよう に、お祈りや飲食をともにして徹夜をするという風習がありました。この集まりが庚申待・庚申講です。
 板橋区では、平成十六年時点で確認できた区内所在一九四基を、同年度区 の文化財として登録しました。
◆石製馬頭観音
 馬頭観音六観音の一つで、慈悲(じひ)を本誓(ほんぜい)とする菩薩(ぼさつ)であるにもかかわらず、この観音像だけは常に恐ろしげな表情をし、 頭上に馬の頭をつけています。 この観音は動物や畜生道(ちくしょうどう)に苦しむものを擁護(ようご)するとされ、また馬頭を持つところから、江戸時代以降馬の守り仏とされるようになり、大量の路傍の石仏が造立されました。
 板橋区では、平成十八年時点で確認できた区内所在五三基を、同年度区の 文化財として登録しました。
◆石製不動明王
 不動明王大日如来の忿怒像(ふんぬぞう)として、種々の煩悩(ぼんのう) を焼き尽くし、悪魔を降伏させ、行者(ぎょうじゃ)を擁護して菩提を得させる明王として信仰されました。
 板橋橋区では、平成十八年時点で確認できた区内所在二〇基を、同年区の文化財として登録しました。


大砲

エントランス前に展示されていた大砲。
以前来た時に何でここにあるのか聞いたら川口(鋳物で有名)から運ばれたもので経緯などはわからないって言っていた。


新藤楼玄関



江戸時代中山道第一の宿場として栄えていた板橋宿は、明治16年の鉄道開通、同17年の火災により次第にさびれていった。そのため、宿場の旅龍業者は再起策の一つとして明治19年に建てられた北農島郡役所(板橋3丁目)周辺に移り、旅館業というよりは、実態を遊廓に変え営業を開始した。
 この建造物は、板橋遊廓中最大の規模を誇った新藤楼の玄関で、寺社建築に用いられている、唐破風造りを取り入れた豪華なつくりとなっている。区内では残り少なくなった明治期の建造物として貴重であるばかりでなく、板橋宿の旅籠の変貌を伝える資料でもある。
 現在地へは昭和49年に移築したが、長い間の風雪により痛みがひどくなったため平成4年に保存修復工事を行った。





前回来た時の日記↓
2016/02/07 part1 板橋区立郷土資料館 - ovanの社会科見学


HPはこちら↓
板橋区立郷土資料館


場所はこちら↓


休館日
『毎週月曜日(祝日の場合は翌日休館)/年末年始』
と、ありましたが、行かれる方は事前にHPなどチェックしてから行ってくださいね!







続く。