2021/01/11 高島平散歩 04 安養寺/稲荷社/徳丸北野神社/郷土芸能伝承館/徳丸槙の道/旧粕谷家住宅

細い路地を東へ進んだ後は、徳丸槙の道を北に進む。



◆安養寺








◆稲荷社








◆徳丸北野神社



当社所蔵の「武蔵国豊嶋郡徳丸郷天神宮紀」によれば「當社は天満天神なり 往昔 此の処ろに古木の霊梅あり
一條院正暦年中(990~994年)に里人等大勢の者が疫癘の癒えんことを祈斜し謹拝して去った
将に其の効しを得るなり斯く祈ることにより奇妙な効果が得られたことは すなわち是の誠の美精に徹する所ろ 鬼神の物に感ずる所以にして奇怪と云うに非ず
およそ 梅は聖廟天神の珍愛する所なり これを以て念いを山州葛野郡に通わし 當里に祠を設けて天満宮と号す
人皇第六十六代一條院長徳元年乙羊(995年)正月一一日御幣帛を捧げ 大前に田夫の業を以て俳優となし、神威を安んじ奉る 今の田阿曽美の祭り是れなり」とある 江戸時代には 天神社又は天満宮の社号であったが 明治六年から北野神社と改称された



北野神社と無形民俗文化財「田遊び」
 長徳元(995)年京都北野神社より勧請する。道真公は平安朝時代の学者で右大臣に任ぜられ、のち藤原時平の嫉にあい九州の太宰府に流されてその地にて没す。没後は天神とあがめられ、学問、能筆の守り神として庶民の間に崇敬をあつめている。
 無形文化財「田遊び」は、毎年二月十一日夜間、五穀豊穣を祈願して行なわれる。この夜地の神を招き、農家一年間の行事を所作と唄で表わす古い形を残した祭りである。
 また、毎年五月には獅子舞が行なわれ、悪疫の退散と子供の無事生長が祈願される。


田遊びの碑


杵築神社/稲荷神社/三峯神社/天祖神社/石上神社


稲荷神社/須賀神社


祖霊社


天王様


鳥居


出羽三山神社



境内社


鳥居







郷土芸能伝承館

トイレをお借りした。
しかし、これなんのための施設なんだろう?







◆徳丸槙の道

この道路に銅像が並んでいた。










◆旧粕谷家住宅

工事中で中へは入れなかった。



 旧粕谷家住宅は、江戸中期に徳丸脇村(わきむら)(現在の板橋区徳丸)の名主であった粕谷浅右衛門(あさえもん)が隠居に際して建てた住まいです。このため 「東の隠居」と呼ばれていました。
 調査の結果、柱の見えない部分(柱柄)に、享保八年(1723)の 墨書が見つかり、建築年代が正確にわかりました。
 当住宅は、茅葺屋根を残しながら、土間に床を張る、間仕切りを設 ける、仏壇や神棚を設けるなどの改造を経て、平成に至るまで住み継がれてきました。
  復元整備工事では、痕跡を細かく調べ、建築当初の姿に戻しました。 建築の特徴は、以下の四点にまとめられます。
①土間境に建つ三本の大黒柱
②押板(おしいた)
③しし窓
④三間四方の板間
これらは、関東地方の古民家に認められる特徴ですが、その四点すべ てを構えている例はたいへんめずらしく、古い形式を伝えています。
 当住宅は、建築年代が明らかな民家としては都内最古級であり、江戸近郊の上層農家の発達過程や地域的特色を示すものとして、高い歴史的・学術的価値を有しており、平成三十年三月十五日に東京都指定 有形文化財になりました。



「旧粕谷家(東の隠居)住宅
 旧粕谷家(東の隠居)住宅は、板橋区有形文化財に指定されており、茅葺屋根の外観と庭は、かつての武蔵野の面影を残す貴重な景観資源であることから、板橋区景観計画における景観重要建造物に指定しています。 (景観法第十九条第一項)


一度来たことがある。
この時も中へ入れなかった。
2016/02/07 part5 旧粕谷家(東の隠居)住宅 付宅地 - ovanの社会科見学







続く。